2007年07月12日

●お知らせ

ご心配を頂いた皆様へ
 本日、私は4年6ヶ月におよぶ闘病期間に終止符を打ちました。
 20代からの心身の酷使から、肝炎、肝不全、肝硬変、食道静脈瘤、肝細胞癌、胆管細胞癌、脾臓癌となり、その進行速度から、医師団により平成14年12月に余命6ヶ月と宣告されました。宣告を受け、数日間、心は迷い、残された期間を如何に過ごすかに心を奪われた時間もありました。しかし、如何に過ごすかなど考えるのも無駄な程、残された時間が僅かなことに気付き。先ずは、身辺整理と心身の不調和を修正しようと5日間、大子の活人禅寺にある小さな薬師堂に篭り坐禅に没頭しました。そして、皆様に末期癌であり余命幾許も無い由を告げさせていただきました。
 その時から、皆様方からのご配慮、ご助言、ご指導、ご支援が始まり、私の支えとなりました。その後、手術が出来ないことからも、西洋医学的対症療法とは決別し、何事も全ては“あるがまま”を受け入れ、“御縁”に随い皆様からお届けいただいた全てを受け入れ、それを“ご縁療法”と称して今日に至りました。 勿論、その中には医師とのご縁もありましたが、それが無料である限り、ご支援を受けました。私にとっては“無料”であることが大事でした。お金が無いわけではないのですが、己の命を金で買うような不謹慎なことはしたくなかったのです。死ぬ時は死ねばよかろう。生きる時は生きれば良かろう。全ては己の内なる仏である自然の力に委ねる事こそ、私らしいと考えたからです。正直、最後の最後まで、“一人で立って、働き、坐り、寝て起き”、立てなくなったら薬師堂で、私の師の多くががそうであったように、威厳・尊厳を以って“坐して死す”覚悟を決めておりました。
 その為には、少なくとも、余す命を燃え尽くそうと思い、“一日を一生”に準えて今日まで生きてきました。
 平成15年6月24日、命日の予定日が過ぎ、一年、二年と、ステージ4(末期)のまま生き恥を曝して生き続けましたが、平成18年六月、“奇跡的(確率0,3%)”に癌の進行が停止し、診断の結果、テージ(期)が一段階下がり、それまで連続的に続いていた激痛と過剰腹水、食欲不振、全身倦怠感、骨そしょう、全身痙攣などなどを伴う血管侵襲多発性癌腫(全身への転移を伴う)が、勢いを失い、直径2センチ以上ではあるが“進行が極端に緩慢となり、癌が“瘡蓋化”して“休火山”状態となったいるという診断を頂き、奇跡的に余命宣言が取り消されました。 しかし、それでもステージ3(三期)で常時症状を自覚し、時に激痛もありましたし、腹水には困り果てていました。まあ、貫禄があり健康そうに見えるから都合が良いと思いつつも、太い注射針で10日おきに2リットル近くの腹水を抜くことは大変でした。
 あれから一年、本日、東京国立癌センターの医師団から「臓器に非進行性の腫瘍が固定し、未だに癌であることは変わらないが、6か月以内の死亡の確率は50%以下、3年生存の確率は30%近い」というコメントを頂き、四年前の「6ヶ月以内の死亡確率99%という宣告、3年以上生きられる確率はゼロに近い」と宣告されたことに比べると、「完治しましたよ!!」と言われたのと同じようなものです。
 勿論、養生は続けますが、それは誰でも同じこと。人間、誰にも“明日”は解らないのです。そういう意味からすれば、誰でも余命は今日一日であり、確率論からすれば、誰でも、明日死ぬ確率は百万分の三なのですから。
 さて、生きるということは一日一日の積み重ねであり、結果は自然なるものです。つまり、如何なる事実であろうと運命に抵抗して心をすり減らすより、事実をあるがままに全面的に受け容れるしかないのです。しかし、それは諦めるということではなく、自然の流れ、縁に委ねるということで、事実を消極的に受け容れるのではなく、積極的に受け容れることでしょう。勿論、悲観的でも楽観的でもありません。心を無にして受け止めるのです。
 今回、癌と共に歩みながら多くを悟らせて頂きました。毎日が悟りの連続でした。思うようになることは何も無い。苦しんでも一日、無心でも一日。只只、出来る事に全力を集中して生きていれば、楽もないが苦も感じませんでした。正に苦楽一如を実感しました。
 死ぬ覚悟より生きる覚悟の方が重い。・・・・俗な表現をしてしまえば、正に「闘病とは成仏へ道」に他ならなかったのです。不思議な事ですが、死ぬと決まってから活き活きと生きた気がします。明日からは、この貴重な体験を活かし、新たな道に足を踏み入れようと思います。一日一生、一生一日。ご縁に随って歩歩是道場、娑婆の修行に励んでまいります。皆様とはご縁があり、これからも続くでしょう。その素晴らしいご縁に感謝しつつ、病状のご報告と、皆様への感謝の気持ちを述べさせて頂きました。本当にありがとうございました。
 皆様の精進は日々の健康の賜物。梅雨時ですが、張り切ってお暮らしください。
末筆ですが、涼しくなりましたら快気とは言わず“回帰祝い”の場を設けさせて頂こうと考えていますので、時期がまいりましたら、ご連絡させていただきます。 
合掌
平成19年7月11日 小林惠智(慧智)

投稿者 echi : 00:27

2006年12月26日

心配をかけました。辻説法を再開します。

 生前3回忌を迎える直前に、体調が悪化し、暫く寝たり起きたりの生活でしたが、坐禅の効果を引き出す“ご縁”の力で、徐々に回復し、年始から『次説法』を再開します。
 さて、辻説法が中断して3ヶ月。世間では物騒な事件が多発し、改めて“教育”の重要性が叫ばれています。教育は、知育・徳育・体育の上位概念であり、『頭と心と体』の調和的な育成から統合作用による人間的成長が期待され、主人公を取り巻く環境には、其々に責任と権限が付与されていまっす。ところが、昨今話題になっている“いじめ”やそれが要因として考えられる“自殺や殺人”は眼に余る状態です。その原因を想像するに、教育の場、特に徳育と体育の中核である家庭に教育力が弱く、責任を放り出してそれらを学校に“丸投げ”している家庭が増えているように思います。また学校における知育の責任は“塾”の成果を期待し、体育は責任者不在といった感があります。
 年始からの辻説法は、そこら辺に注目して書き続けようと思っていますので、宜しくお願いします。
両忘山活人禅寺 慧智

投稿者 echi : 17:08

2005年03月05日

野狐禅和尚の報告『中年ダッシュ村≒ベテランズビレッジ構想』№686

●日本人の原点、心身自適、互恵の村『南伊豆・菜根譚(さいこんたん)』
平成17年5月から、静岡県賀茂郡南伊豆町の農業生産法人(私が代表)が所有する約18万坪(約60万平方メートル)の土地において、自然と共存しスローライフを目指す人々が集える“一流の田舎”を目指し、『一人が皆のために、皆が一人のために』を合言葉、『菜根譚』を村名に、質実剛健、質素倹約の創村活動を、仲間を募って開始する。
金だ物だと世知辛い世の中であり、一寸先はデフレかインフレか全く読めないし、モラルの低いインテリは“金儲け”に奔走し日本を性悪説の国であるアメリカに売り渡そうとしている現代。理想は“金や物”から独立した『心と事』で繋がる“一流の村”の建設だ。しかし、物から事、金から心へという極論から極論に振れるのは、極論を助長し強化する結果を招くだけで、自然が誘導する“正しい結果”は出ないだろう。
そこで、これから開村する『菜根譚(仮称』では、“出来る限り自然に暮そう”を合言葉に『極論を排除した両忘思想(中庸)』で暮せる環境を整備する。それは、個々に独立しながら、イザとなれば助け合う“相互貢献”が自然に起きる村だ。言い換えれば、必要以上に近付かない必要以上に離れない人間関係が保たれていることであり、多種多様な個々の意見は止揚され上位の概念に統合される文化をもつ村だ。意見が右左に分かれたら右左の両論を包み込んで“上”に統合される文化だ。つまり、男か女かと意見が分かれれば“人間”と読みかえられる文化だろう。有罪か無罪かと分かれれば“罪は補償し人は成長する”ということだろう。
『菜根譚』は、出来る事なら“自給自足”が望ましい。しかし、現実には難しい。となれば、“物々交換”や“結(ゆい)による協働(それぞれの得意を活かして相互に貢献する)”ということになるだろう。そして、誰も偉くない。誰も諂わない。其々が行動責任を担える村だろう。
私が、こんな思いで創村するからといって仙人ではない。現実から逃避することでもない。事実は事実、現実は現実として認識し、謙虚に受け止め、本来の意味で“理”に適った暮らしを実現したいだけだ。電気の無駄使いはしないが蝋燭生活を強要もされない。移動には車を使うが出来る限り歩く。贅沢はしないが赤貧に甘んじない。言い換えれば“創意工夫”が尊重され、活かせる村なのだ。
●『菜根譚』の場所は、伊豆急・下田駅から車で20分ほどの周囲を山に囲まれた盆地状の土地で、進入道路は走雲峡ラインから一本、入口を入れば恰も独立国のような風情がある。
●村民になってもらいたい人は、現在退職準備中の方、退職された方、週末だけでも自然に帰りたい方、都会育ちで田舎の無い家族など、物質文明と拝金主義に違和感のある方で、評論家ではなく、自ら進んで汗を流す率先垂範が出来る人だ。
●現状は、土地と果樹園があるだけ。全ては開村してから建設される。つまり、創村活動にこそ“志”が活きるからだ。言い換えれば、相互貢献の機会はあるが、何のサービスもない。縁があり村で知り合った方々と自由に語らい、アイデアを出し、自ら率先して村創りをしたい。村には週末に帰ってくるも良し。平日に帰ってくるも良し。場合によれば住まいを移しても良し。『菜根譚』を利害の対立のない“新しい故郷”にしたいだけなのだ。
●想定される人口は、300人程度。村の共同施設(役場・温泉・農地など)を利用して田舎生活を楽しむ為には、世知辛いが最低限の費用は必要なので、10年分の村民株一人150万円を募る。また、多少のプライベートのために自分専用の農業小屋を作りたい方は村民株300万円をお願いする。つまり、集められた資金で村の華美にならない最低限の施設を建設する。
●『菜根譚』憲章:一人が皆のために、皆が一人のために。
注意:村民の一人一人が利他の心で『結(ゆい)』という村の暗黙の約束事(基本理念)を守ることで、対立や諍いの無い、脱都会、脱文明の自適な生活を楽しむことが出来る。勿論、現在進行形の果樹園農業に参画することも、土地を開墾して農地を作り無(減)肥料農業、無(減)農薬という約束事さえ守れば、花や野菜、果物などの露地栽培や水耕栽培などが出来ますし、村の世話役が手伝ってくれるので、趣味の農業や園芸も楽しめるのだ。
●寝泊りは、不特定多数ではなく特定少数に限定されているため、立派な施設は考えていない。基本的には村役場とその分室(小屋)を生活の場としていただく。また、温泉施設はあるが村の共同浴場と考え、利用者は“入った時より出る時”の方が綺麗と言われる使い方をしてもらう。
●小屋掛:農業や開墾に必要な場合は、“作業小屋”を建てることが出来る。
●開墾:村民の希望を、村議会で話し合い、村の土地であれば自力で開墾し、耕作地や広場などを作り、村の理念を逸脱しない限り、どんな活動でも可能です。なお、農作業は、村役場の世話役(近隣の農家)の応援が受けられるので、週末のみの素人でも本格的農業を楽しむことができる。
●永住派も歓迎するが、質実剛健、質素倹約、利他の心は失わないで欲しい。
●疎開の村:諸行無常。過去は確定し未来は未定。一寸先は解らない。だから、東京が新潟の山古志村のようになる場合もあるだろう。そんな万が一の災難を想定して『自分の田舎』をつくっておく人の為に、非常時の衣食住には万全をきしておく。
●愛すべき中であるペット達のためには、多少の費用はかかるだろうが、ケア付きのホスピス、老人ホームも用意する。
●また、『菜根譚』には、終末の棲家である墓はないが、縄文時代の遺跡がある地域に『散骨の杜』の用意があり、村民が亡くなられても、永住するもできる。
●勿論、坐禅やメディテーションなど心身の健康を維持する場所には事欠かないし、現代風の“禅的生活”の場となるだろう。
以上、第一報。詳しくは keichi-k@tkh.att.ne.jp へメールをしてください。
慧智(050305)

投稿者 echi : 16:58

 
活人禅宗・両忘活人禅会
活人禅会:茨城県久慈郡大子町浅川椢立目2644 両忘山活人禅寺  南伊豆禅会:静岡県賀茂郡南伊豆町加納1232 The禅House