2007年05月18日

●活人の誓いについて

 活人の誓いが『四句請願』であることは、機会あるごとに話しています。
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへん・せいがん・ど)
煩悩無盡誓願断(ぼんのうむじん・せいがん・だん)
法門無量誓願学(ほうもんむりょう・せいがん・がく)
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょう・せいがん・じょう)
それも、順番があり『度→断→学→成』。先ずは野にあって衆生を救う(社会貢献を意識する)。少欲を捨て大欲をもつ(目標意識より目的意識)。本質・真理・原理・原則を学ぶ(枝葉末節に囚われない)。己を完成させる(地球規模・宇宙規模で働く)。そして、竿の頭から飛び降り、基に戻って『度→断→学→成』を繰り返す。これが『百尺竿頭進一歩』(無門関より)の意味。
その大本の心には、活人禅堂の聖僧さんである慧可大和尚に対し、初祖達磨大師が与えた、以下に示す伝法の偈(一節)がある。
『吾本来茲土』・・・我れこの国の土となるために来た。
『伝法救迷情』・・・それは、法を伝えて、迷情を救うことだ。
『一華開五葉』・・・花が無心に開くように、純粋無垢な心となれ。 
『結果自然成』・・・無心に法を伝えていれば、自然と結果する(果を結ぶ)。
 我らが、坐禅を通じて文殊菩薩の智慧、慧可大和尚の心と行動と一心同体になるということは、両方の腕が揃ったままで、達磨の直弟子となり、文殊の智慧が働くはずである。
 さて、慧可大和尚が自ら左腕を断ち切って初祖に差し出した事を、肯定もせず、否定もせず、解説もせず、言葉も使わずに、山川草木に対して応えてみよ。
 応えなければ、活人を捨てることとなり、応えても言葉を使えば命に叛く事になる。
 さあ、どうする。
一日一生 慧智(070518)『願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成佛道』
*明日3時、胆の据わった禅士を寺でお待ち申し上げます。

投稿者 echi : 10:05

2007年05月12日

●良寛さんの漢詩に学ぶ

人心各不同 如面有相違    
倶執一般見 到処逓是非    
似我非為是 異我是為非    
是我之所是 非我之所非    
是非始在己 道固不若斯    
以竿極海底 祗覚一場疲    
◆慧智の読み下し(二句読み)
人心(にんしん)、各おの同じからず、面に相違のあるが如し。
倶(とも)に一般の見を執(しゆう)し、到る処 逓(たがい)に是非す。
我に似れば非も是と為し、我に異なれば是も非と為す。
是は我れの是とする所 非は我れの非とする所。
是非は始より己に在り、道は固(もと)より斯くの若くならず。
竿を以て海底を極めんとすれば、祗(た)だ疲れを覚ゆるのみ。
◆慧智の超訳
人の心は顔に違いがあるように皆異なるものだ。
しかし、皆、自分の考えに固執し、相手の考えの是非を決め付ける。
問題は、自分の考えに似ていれば相手を肯定し、異なっていれば否定するところだ。
つまり、是々非々は最初から自分の尺度で決め込んでいるということだ。
ところが、自分が決め込んである是々非々の基準は、しばしば道理に反するものだ。
それは、竿で海底を突こうとするようなもので、疲れ果て空しさが残るだけの話なのだ。
◆要約すれば『人間には個別的特性(個性)があり、各々が自分の価値観に固執して相手の是々非々を判断するが、結果的には真理を見過ごし空しさだけが残るものだ』と言っている。
◆禅士に問う。
禅では、個性の違いを表面上では認めているが、真理は“無個性”だと個性を断じているが、何故か。

一日一生 慧智(070512)
『願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを』

投稿者 echi : 19:28

2007年05月01日

●『道無心合人 人無心合道』祖堂集、第巻十鏡清・第巻二十

表題は、祖堂集、第巻二十に、問「古人有言人無心合道、如何是人無心合道。師云、何不問道無心合人。如何是道無心合人。師云、白雲乍可来青嶂、明月那堪下碧天」という文脈で登場する。読みは「道は心の人に合することなく、
人は心の道に合するなし」となる。意味は『本当に大事なのは、大道は人の心に合さないし、人も大道に合さない。二項対立ではなく、何事も最初から一体だ」ということ。“無”は有無の無でないのと同じ。
 小学生でも読み書き出来る文字だが、院生でも理解できない句。坐りましょう。
一日一生 慧智(070430)
『願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを』

投稿者 echi : 01:12

2007年04月26日

●『一切皆空』故の『行』

 『行』は、八正道。“正しい”行為、全ての活動に成り切って生きること。心と体は表裏一体。不可分不可同。即ち、心は体あって心、体は心あって体。縁の結晶です。
究極的には、“虚無なる我”の原点である“空なる己”をも捨て去って生きること。それが『無心』ということです。“あるがまま”の現実を素直に受け容れる。現実と一体となる。対峙しない。痛いときは痛い。死ぬ時は死ぬ。元気な時は元気。現実を受け容れずに抵抗するから“苦”が生まれる。苦も楽も瞬間的であり相対的で絶対的実体ではない。つまり“思い様、考え様”で評価は逆転するようなもの。
 故に“修行(行を修める)”により『一切皆空』が現前し、己と宇宙が一体という般若が目覚め、『一切皆苦』が消滅する。
 『般若』即ち『全身の智慧(力)』は、人生を自由自在、融通無碍なる日常に変身させる。
だからこそ、“行”は人生の原動力。歩歩是道場。禅堂だけ、坐禅だけではなく“働く(他楽、他を楽にする)”事が大事。活人禅者は衆生のモデルになるべし。
 『獲得的な知識と生得的な智慧』のハイブリット型のエンジンで動くような大衆は、多くの場合、悩みや不安を解消できないものとして修行に入る前に諦めていることが多い。
 しかし、先ずは挑戦せよ。とことんの坐禅は、無対立・無犠牲・自主独立に生きる慈悲の塊へと己を変身させ、全ての現象の部分である己を実感して『乾坤只一人(天上天下唯我独尊)』に気付き、自他一如を体現するようになる。
 すると、無縄自縛の縄は消え、一切皆空を体現して一切皆苦は消滅する。即ち、己が慈悲と智慧の結晶であることに気付くき、不安も無ければ恐怖も無い人生が見える。生老病死に囚われない大安心の世界が現前する。
坐るべし。只管に坐るべし。何処でも良いから『坐忘』となるまで坐るべし。
一日一生 慧智(070426) 本日の起抜け説法から抜粋
願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを

投稿者 echi : 08:29

2007年04月14日

●薬師の十二請願(薬師本願功徳経・薬師経)を『企業経営者の使命』に投影する。

 薬師如来は、今日考えられている“病難厄除”や“病気平癒”だけではなく、衆生を全ての苦悩から解放することを菩薩修行の中で誓いました。それは単に“現世利益”を与えることではなく、救われた後には利他の働きをするように導いた本物の“経営者”です。
 言い換えると、先ずは救い、自立させ、世の為に働ける力と心を作ることを己に誓っているのです。
*因みに、拙僧が“末期癌”を自覚し、余命を受容れ、己を信じて七日間坐り決定的な危機から脱した活人禅寺の薬師堂には『薬師菩薩』が安置されています。
 さて、本題です。請願の超訳の下に『→』で“経営理念(企業目的や経営目標を達成させる上での経営者の明文化した志)”に準えられることが出来る“標準的な表現”を書いておきました。前出しましたが、薬師如来(菩薩)が、経営道を究めた方だということを理解してもらえるでしょう。
(ご注意)薬師の十二大願(請願)は、異なる表現が数種類あり宗旨宗派により読まれているものが異なりますが大同小異です。
第一願   光明普照
第二願   随意成弁
第三願   施無尽仏
第四願   安立大乗
第五願   具戒清浄
第六願   諸根具足
第七願   除病安楽
第八願   転女得仏
第九願   安立正見
第十願   苦悩解脱
第十一願  飲食安楽
第十二願  美衣満足

1、人々を光明で普く照らし成仏させます。
  →社員の成長を促し一人前の社会人にします。
2、人々が善い行いをできるようにします。
  →仕事を通じて社会に貢献します。
3、人々が必要なものを手に入れることができるようにします。
  →社会貢献を行なう組織には十分な投資をします。
4、人々を大乗仏教の正しい教えに導きます。
  →社員を教育し理念を実現させます。
5、人々に戒律を保たせ清い心にします。
  →遵法精神を持った企業市民にします。
6、人々の身体上の障害を無くします。
  →出来る事をさせるという心で差別の無い雇用を実現します。
7、人々の病を除き窮乏から救います。
  →労災に対して真摯に対応し生活を支援します。
8、女故の修行上の不利を取り除きます。
  →差別や数合わせでない真に正しい女性登用をします。
9、人々の菩薩行を手伝い完全な悟りに至らせます。
  →社員教育を充実します。
10、人々を災難や苦痛から解放します。
  →社員の安全と健康管理を重視します。
11、人々の飢えや渇きから解放します。
  →社会貢献活動を重視します。
12、人々に衣服など心慰めるものを与えて満足させます。
  →働きやすい環境を用意します。

一日一生 慧智(070414)
願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを

投稿者 echi : 01:29

2007年04月13日

●禅は、己の外に願わず、己に誓うことを『四句請願』を通じて学ぶ

 坐禅の前に、自らの誓いを口から発して耳にフィードバックさせて、意志を再確認させるのが『四句請願』です。今日は、“四句請願とは”について話します。
なお、明日は拙僧が魅了される薬師の十二請願を講話を予定します。
今日は、取り立てて説明をしません。
ネット禅会で実践してください。

■四句請願
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへん・せいがん・ど)
煩悩無盡誓願断(ぼんのうむじん・せいがん・だん)
法門無量誓願学(ほうもんむりょう・せいがん・がく)
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょう・せいがん・じょう)
4句を最低三回は繰り返す。

■四句請願の慧智流の“超訳”(何を、誰に誓っているのか)
生きとし生けるものを救い幸せに導くことを、私は宇宙の一部であり全てである己の全身に誓います。
己の尽きることの無い邪な欲望(邪心)には負けないということを、私は宇宙の一部であり全てである己の全身に誓います。
釈尊の発見した真理(宇宙の法則)をあらゆる場所の体験を通じて学び尽くすことを、私は宇宙の一部であり全てである己の全身に誓います。
正しい智慧、正しい生き方を獲得するために生きることを、私は宇宙の一部であり全てである己の全身に誓います。

一日一生 慧智(070413)
★追記
起きぬけに書いた部分に誤りがありましたので、修正しました。

投稿者 echi : 10:06

2007年04月12日

●『信じる事、疑う事』の意味

二見は危険であるが、極論を示した方が理解しやすいので、『信じる・疑う』すなわち禅で言われる『大疑大悟』について話します。 
西洋(キリスト教文化)の思考様式の特徴は、神を信じ、他人や事象(事実)を疑うことが基本。
東洋(仏教文化)の思考様式の特徴は、他人や事象(事実)を信じて、自分を疑うことが基本。
さて、皆は、この表現を信じるか。受け容れるか、拒絶するか。
仮に、“信じ”という部分を“受け入れ”と変えたらどうだろう。
『清心万能・邪心万危』という教訓がある。
これは、性善説の発想と理解するか、性悪説の発想と理解するか。
仮に、会社で上司に怒鳴られた。その時“悪い上司”と思うか、“自分が悪い”と思うか。場合により異なるだろうが、何れが“学び”が多いと思うか。
人には、外向型と内向型、他責的(型)と自責的(型)という心理学的傾向があるが、何れが成長にとって効果的か。
信じる事は愛すること、愛することは信じることか?
疑う事は拒絶すること、拒絶することは疑うことか?
デカルトが提唱した『方法論的懐疑』は、彼の言う“真理”に到達するために疑うという“方法論”としての懐疑であり、全てを事実を疑い、疑問が晴れたもののみが真理であるという考え方だ。
皆は、これに同意するか。
仏教の『懺悔(SANGE)』とキリスト教の『懺悔(ZANGE)』、読み方も違えば意味も違う。
皆は、理解できるか。
さて、本題である。
以下は、ご存知の四句請願と対となる懺悔文(さんげもん)である。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かうゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいそしょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

表面的な意味は、以下の通り。しかし、『悪の認識』は意識的か、無意識か。そもそも“悪”とは何か。また、“悪”の対極が“善”か。考えてみると良い。とは言っても、考えて解るものではない。本日の講話の内容は頭で解ってもの、それは生きる意味を見出せない。坐る以外にはない。暫くは、坐禅三昧でいて欲しい。少々体調が思わしくなく、辻説法が途切れ途切れになるかもしれないので。
『私の父母が生まれる前の私は沢山の悪い事をしています。それは真理をしらない無知が原因で、日常の動作や言葉や考え方を通じてのことです。己に降りかかる全ては己の心の問題であり、真理に目覚めていなかった事を悔い改めます』と意訳したが、誰に対しての言葉か。
一日一生 慧智(070412)

投稿者 echi : 04:18

2007年03月26日

●活人禅寺(慧智)流の“癌封じ”法

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★露蓮(LOHAS)の丘も春で★

 私が知る限り、己の癌をカミングアウトすると、医者以外(医者もかなりレベル差が大きい)の方、例えば“呪術系”、“民間療法系”、“耳学問系の素人”などから異口同音に“癌封じ”について助言を頂くことが大変に多いものです。
 勿論、大半の方は善意で、見聞きした情報を伝えつつ元気を出させようと“方便”を使う方(小さな親切大きなお世話型)。近親者などの特殊な経験や体験を拡大解釈して一般論のようにして熱く語ってくれる方(一杯のかけそば型)。藁をも掴みたい心境に乗じて悪意から“デタラメ”なことを言って金品を騙し取ろうとする輩(振り込め詐欺型)などなど沢山居られます。
 それらを十分に理解したうえで、私の体験のポジショニングを決め、自己責任で判断してください。では、私の現在進行形の“ご縁療法”について二つの観点『考え方と行動』に分けて話しましょう。
■『考え方』
1、体には自然治癒力があり、癌ですら治る
2、自然治癒力とは、特別な何かをするものではなく、己の免疫力を活性化すること。
3、自然治癒力を信じられないのは、心が病んでいるからである。
4、癌を恐れ、逃げてはいけない。そうかと言って精神力で頑張ってはいけない。
5、癌に怯え、過去を顧みて、自分を虐めたり、他を恨んではいけない。
6、癌を軽視してはいけない。
7、癌を敵視せず“己の一部”であることを認める。
8、自分を取り巻く環境は、全て自分にとって必要な現象であることを理解しておく。(雨が降ったら濡れれば良いし、傘があればさせば良い)
9、西洋、漢方、和漢だ、気功だ、温泉療法だ、統合医療だと、自然治癒力を支援してくれる行為は差別してはならない。
10、人間は病気や怪我では死なないことを理解する。死ぬのは“寿命”であり使命を果たし終えた証。
11、一日を一生と準えて生き切る。(今日一日の命を燃やし尽くす。明日があると思わない)
■『暮し方』
1、好意は遠慮なく全て受け取り、選り好みをせずに活用する。
2、効果を売り物にした勧めに応じ、金で命を買おうとすることは一切しない。
3、一日3食、食べられるものを食べる。食べたいものは食べる。
4、一日2リットルの極うすい塩水を飲む。1リットルに1グラム以下程度。
5、朝起きた時、夜寝る前に20分、布団の上で坐禅を組む。般若心経と坐禅和讃をおきな声で読む。(方法はTOPページ参照)
6、出来る限り“普通”の生活をする。(忙しかった人は忙しく)
7、疲れたら休む、寝る。
8、医者は、状況を客観的に知らせてくれる“外の己”として丁重に接する。
9、呼吸は、意識して深く吸い、ゆっくりと吐き出す。(癌を吐き出すイメージ)
10、命の次のステップを自分で用意して馴染んでおく。
 以上が、"ステージ4”からの復活の現在進行形です。
一日一生 慧智(070326)
広げられた露蓮の丘.JPG
★広げられた露蓮の丘★

投稿者 echi : 23:50

 
活人禅宗・両忘活人禅会
活人禅会:茨城県久慈郡大子町浅川椢立目2644 両忘山活人禅寺  南伊豆禅会:静岡県賀茂郡南伊豆町加納1232 The禅House