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2007年07月16日

●第1099話 『自分で自分を縛り、自分以外を支配しようとする邪心こそが苦の源泉』

 自分ひとりが心静かに暮らしていても、周囲にはゴタゴタが溢れている。それは、雨の日に縁側に坐って往来を眺めているようなもので、景色として観ていれば悟りの切っ掛けになるし、雨宿りを頼まれれば軒先を貸せば其れで済む。しかし、濡れ鼠になって走りまくる者を見てしまうと、バタバタせずにユッタリと暮らす方法を語りたくなる。ところが、語るためには、己も外に出て、バタバタとしなければ話す切っ掛けもつかめない。軒先に居るものなら、縁側からの声も届くので、「上がって茶でもどうぞ」と声を掛けられる。病から、暫くの間、縁側に座り、軒先で雨宿りをしている者にだけ“お茶”に誘い、往来でバタバタする者には「来る者は拒まず、去る者は追わず」というメッセージを投げかけていた。
 今、縁側から腰を上げ、玄関先に出られる程度に身体が回復すると、またまた“世間の塵や埃に塗れても、お節介と言われようと、雨の路地に出て、共に濡れながら、先ずは傘を差し出し、一人でも多くの人に心豊かな暮らし方を説きたい衝動に駆られる。
 病の間は、毎日のように悟りがあり、「溺れている者は、バタバタしている時は手を出さずに見守り、気絶したら引き上げて人工呼吸をするのが最善だ」ということを知った。
 しかし、まだまだ未熟な己は、火中の栗を拾うが如く、ツイツイ、軒先で雨宿りする者の話を聞いて、道の歩き方などを“中途半端”に話してしまう。病の折に、己がモデルとなりユッタリと暮らすころが、“結果的には多くを救う”ことを悟ったにも関わらずである。
 まあ、そんな己に内なる仏が反省させるため、癌という機会が与えられたのだが・・・。
 それにしても、巷には金の亡者が多い事か。金の使い道の何たるかに気付かぬ者が多い事か。確か、良寛和尚も心を痛めていたが・・・。少しだけだが解るようになったのは、癌のお陰。そろそろ“病の意味”を理解して欲しいものだ。
◆良寛和尚の漢詩
人生浮世間    
忽若陌上塵    
朝為少年子    
薄莫作霜鬢    
都為心不了    
永劫枉苦辛    
為問三界子    
将何為去津    
◆読み下し
ヒトのウキヨのカンにイくるや コツとしてハクジョウのチリのゴトく アシタにはショウネンのコたりしに ハクボにはソウビンとナる。
スベてシンフリョウなるがために エイゴウにムナしくクシンす タメにトう サンガイのヒト ナニをモッッてキョリツとなすや。
◆解釈
心定まらない者がこの世を生きるのは、正に道に舞う塵や埃のようなもので、朝方は子供、夕方は白髪の老人になってしまうようなもの。
全ては“本来の己”を自覚出来ずに空しく辛く苦しい生涯を送るのは何故なのか。皆のために悟りを開いた仏に、どんな生き方をすれば良いか教えて欲しい。

一日一生 慧智(070716)
『願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを』
★宣言 衆生無辺誓願度 煩悩無盡誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成

投稿者 echi : 2007年07月16日 09:51

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