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2007年07月13日

●第1098話 『高山流水 只貴知音』

虚堂録の四巻に和尚の言葉として出てくる『高山流水 只貴知音』は、「こうざんりゅうすい ただちいんをとうとぶ」と読み、「高い山や流れる水の意味は、悟れる者に悟れる」と解釈する。人間、素直な心、清心の者は全てに学べるが、先入観に囚われた邪心の者は、老賢人にすら学べない。言い換えると、加齢と共に成長する者も居れば、返って下衆になってゆく者がいる。年を重ねるごとに賢人となり老賢人と言われるような生き方と、年を増すごとに痴人と化し愚者となる生き方は、日々の生き方に違いがある。物に拘り、事に囚われ、枝葉末節に偏っていては“本質・真理”は見えない。四十を過ぎて博打に現を抜かしている者には本質は見えないだろう。しかし、彼らでさえ“仏性”を内在させているし、何らかの切っ掛けでそれに気付き精進すれば、悟りへの道は開かれている。己の外に価値や規範を求め、物や金、地位や名誉で人間を評価する者は、何れは“神”を作り上げ、“占い”などの迷信に翻弄され、霊だ魂だと言い出し、己が主人公の世界、誰もが己の責任と権限で生きてゆく世界を愚弄する。私たちは誰一人の例外なく、一人ひとりが世界の全てであると同時に、世界の一部であることの自覚が必要だろう。己が大事なら、それと同列に他人も自然も大事なのである。眼前の物の世界に父母未生以前の己の姿を見たなら、子々孫々以後の己の姿も見えるはず。ところが、己の垢である“我”に気が付かない拝金拝物亡者は、“失う事”が苦の最たるものである事に気付かず、一喜一憂する競争社会、喜怒哀楽の快楽追求社会という地獄を足早に生きて大自然へ戻るのである。
 また、祖堂集巻五・石頭下巻第二曹渓345代法孫に出てくる『養子方知父慈』は、「子をうんではじめてちちのじを知る」と読み、意味は、父の慈悲心は自分が子を得て初めて解る」であるが、文の前後関係からは「雲嵒和尚は洞山という弟子を得て初めて雲嵒となり薬山和尚のありがたさが解った」と言われるように、悟ってみて初めて悟った人の境地が解るというものである。であるから、日頃から偏見を持たずに“己を越している”と思える人物と交わるのが良かろう。そして、師と弟子の関係を超えて切磋琢磨するのが良かろう。
一日一生 慧智(070713)
『願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを』
★宣言 衆生無辺誓願度 煩悩無盡誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成

投稿者 echi : 2007年07月13日 10:01

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