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2007年07月08日

●第1095話 『曹源一滴水(そうげんのいってきすい)』

 言わずと知れた『碧巌録』に登場する五言の一句です。『曹源』とは「曹渓の源泉」、つまり六祖慧能(えのう)大和尚のこと。紀元前の釈尊という源から流れ出た大河の一滴は、800年の歳月を掛けて我が初祖である達磨(だるま)大和尚、そして本尊の慧可(えか)大和尚、僧粲(そうさん)、道信(どうしん)、弘忍(ぐにん)大和尚と続き、六祖慧能大和尚により『禅の流れ』は大成し、臨済・ 雲門・洞山・潙山・法眼によって、臨済宗・雲門宗・曹洞宗・潙仰宗・法眼宗の五家、加えて臨済宗の二派、楊岐派と黄龍派を加えて五家七宗に分化して日本には二十四流の禅として伝えられたが、全てはて大河の一滴、『曹渓の一滴水』からのものです。そこで、禅の根本を「曹源の一滴水」と表現し、正伝の禅法を「一滴水」といいます。有名な話ですが、明治の初めに天龍寺の管長になられた滴水宜牧禅師は、曹源寺の儀山禅師を師として修行されており、師が入浴中に滴水に「わしが風炉から出たら水をどう始末するのか」と。適水禅師「老師の次の人が入ります」と。儀山禅師「それがすんだら」と。適水禅師「私たち小僧たちが入ります」と。儀山禅師「では、それがすんだら」と。そこで、適水禅師は「捨てます」と応えるや否や儀山老子の大喝一声。「馬鹿者、なぜ木の根にかけぬ。一滴の水をも粗末にするでない」と。その一声に小僧である適水禅師が悟り、五十歳にして天龍寺の管長になられ、以後、号(ごう)を「滴水」と改めて遷化されるまで「水は仏の御命、一滴の水をも無駄にせぬよう」と言い続けておられました。
 しかし、最近はどうでしょうか。水を粗末にするなど言うに及ばず、命さえ粗末にしている。生きる時は全力で生きる。死ぬ時は全力で死ぬ。それが無駄の無い生き方ではないだろう。食糧の無駄、時間の無駄、人生の無駄・・・。現在では無駄を裕福・優雅のシンボルのように言うが、それでは地球が、宇宙が嘆き、人類を諌め様と隋縁から驚天動地があっても不思議ではない。それにしても二流の国民に三流の三代目の政治家は情けない。日本を“美しい国”になどと誤魔化さず、“美徳の国”へ戻すために、小手先の『教育改善』を改め、根本から見直す“教育改革”が必要なのではないだろうか。
 一日一生 慧智(070707)
『願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに仏道を成ぜんことを』
★宣言 衆生無辺誓願度 煩悩無盡誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成

投稿者 echi : 2007年07月08日 14:33

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