« ●第1083-2話 『質問:出家の意味は』 | メイン | ●第1085話 『心身一如というけれど・・・』 »

2007年06月15日

●第1084話 『六道輪廻(3)』

 地獄という場所、浄土という場所など無い。しかし、“その心”はある。一日一生として、一日を「働く・学ぶ・寝る」を三分割して考えても、その時、その一瞬の心がある。
『餓鬼(がき)』のように金の為にガツガツと働き、物や力に飢え、焦りを覚えるような時。
 『畜生(ちくしょう)』のようにセックスを求め、美食を求め、睡眠を求めて得られない不機嫌な時。
 『修羅(しゅら)』のように喜怒哀楽を表に出し、競争に負けまいとしてストレスいっぱいの不安な時。   『地獄(じごく)』のように、悩み・苦しみ・悲しみの中で四苦八苦している苦痛な時間。
 『菩薩(ぼさつ)』のように穏やかで心が安定している余裕のある時。
 『如来(にょらい)』のように何もかもが頂天にあるように満たされ誰の望みでも適えてあげたくなる時。
人間であれば、“如来の時”とまで言わないが、せめて“菩薩の時”だけを過ごしたいと思うだろうが、それには何もかも投げ出して人里はなれた山中の叢林の篭らなければならないだろう。しかし、それは非現実的。その上、臭いものに蓋をするが如く、己のみの安楽感は得られるだろうが、それは本来の幸せには程遠いだろう。事実、不幸な人がいることを知っていて、知らぬ振りなんて出来るだろうか。本当に幸せになりたいなら、幸せにすることだろう。「他人の不幸は蜜の味」ということを言う人がいるが、暫くすると蜜の味が“ほろ苦い”ことを知るものだ。本当の幸せとは、全ての人々が争わず穏やかに菩薩のような生活が出来ている時に湧き上がる“心の状態”だろう。世の中には、菩薩のような顔をしていながら餓鬼、畜生、修羅、地獄の住民がいるのも確かだ。しかし、それに目くじらをたて、イライラしていては、己の幸せは遠のくばかり。だからと言って許していては罪を繰り返えし被害者が増えるだけ。そんな悩みを工夫で乗り越え、その世界からの脱出を支援する修行こそが『菩薩行』だろう。言い換えれば『経営者』は菩薩であるべきなのである。
 人生は『一日一生』の積み重ね。心の持ち方一つで、六道は輪廻する。だとしたら・・・。如来のような一切の見返りを期待しない慈善家。菩薩のように皆が幸せをつかめるように支援する経営者を目指し、六道を輪廻する毎日を修行と考え、少しでも己を磨き、菩薩、如来に近づこうではないか。
 活人禅寺は、餓鬼・畜生・修羅・地獄の時を苦しんでいる者が、一時でも菩薩の心を味わい、如来を目指す心が芽生えることを支援している寺である。
 明日、明後日は禅会。来る者は拒まないし、去る者は追わない禅会である。
この時期の参加者は少ないので、覗きに来て見なさい。
一日一生 慧智(070615)
『願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを』

投稿者 echi : 2007年06月15日 09:48

コメント

 
活人禅宗・両忘活人禅会
活人禅会:茨城県久慈郡大子町浅川椢立目2644 両忘山活人禅寺  南伊豆禅会:静岡県賀茂郡南伊豆町加納1232 The禅House