« ●第1083話 『己の外に仏なし』 | メイン | ●第1084話 『六道輪廻(3)』 »

2007年06月14日

●第1083-2話 『質問:出家の意味は』

 ネット禅会に参加している方から「出家は僧侶になること思っていましたが、“在家出家”ということが他宗には有るようですが、出家の意味を教えてください」という質問をうけたので、活人禅宗としての見解を話そうと思います。元来、出家は、家を出て修行に入ることであり、柵を切り無一物となることです。そして、剃髪して仏門に入り仏に帰依する『得度』とセットになって初めて、『僧侶』になると言えます。
 つまり、僧侶の一大事は“柵から自由になる”、言い換えれば『解脱』する。言い換えれば家族や近親縁者と結ばれている“絆(きずな)”を100%断ち切り、全ての人間、全ての現象と公平無差別の絆を結ぶことと言えます。簡単に言えば、私有、所有という“愛着(煩悩)”や、父母兄弟姉妹への“愛情(煩悩)”を一旦は捨て、全ての現象や存在と“等距離”になること、即ち“慈悲”に生きることです。ですから、正しく、文字通りの『本来無一物』を生きることです。何か“仙人”のような感じがするでしょう。現実には、“煩悩の凝縮”といえる一人の人間を他の人間と差別し義務と権利の対象とする『結婚』が、仏門でも一般化し、本来無一物のはずが地所家作、車などの私有財産を持ち僧侶が多く居ます。つまり、職業としての僧侶、身分としての僧侶、生き方としての僧侶・・・、いろいろな僧侶がいます。それが現実であり、質問者が疑問を持つのは当然です。この説法でネット禅士の質問を取り上げたのは、快楽追求主義である自由主義・資本主義、禁欲主義と言われる共産主義や社会主義などを引き合いに出して、拙僧の考えを述べるためではなく、『~主義』という考えも捨てるのが出家得度だということを知らせたいから
です。偏らない心、囚われない心、拘らない心。それが本来の“自由”という心で、現実から逃避せず、“あるがまま”を受け入れて尚、自由に生きることが出家だと考えています。言い換えると、「したい事、すべき事」という心を捨て「出来る事」に生きることで、『出家』は物理的な問題ではなく、心の問題だと考えています。ですから、仏門に居ても出家ではない人もいれば、家にいて出家している人も居るのです。
 ところで、あなたは初対面の老婆と実母を無差別公平に扱えますか。扱えれば出家、扱うことが出来なければ在家です。『性愛から始まり族愛、理愛、博愛というプロセスを通じて慈悲に至る』のが人間です。そして。それらの段階は重畳的に現象し続けつつ重みが変わってくるのが人間の成長です。例えば物欲は性愛+族愛+理愛の投影であり、やさしさは、博愛までのプロセズの全ての投影、受容は慈悲までにプロセスの全ての投影なのです。ですから、出家は『煩悩を踏まえつつ慈悲に生きること』だと考えています。
一日一生 慧智(070614)
『願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを』

投稿者 echi : 2007年06月14日 09:13

コメント

 
活人禅宗・両忘活人禅会
活人禅会:茨城県久慈郡大子町浅川椢立目2644 両忘山活人禅寺  南伊豆禅会:静岡県賀茂郡南伊豆町加納1232 The禅House