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2007年05月29日

●第1068話 死について考える

 昨日から、現職の大臣の自殺について多くの報道がなされ、周囲から自殺に対する賛否両論が囁かれていた。
 さて、生者必滅。生まれた者は必ず死ぬ。日本人は一年に約100万人が死ぬ。世界では毎年5000万人が死ぬ。老衰死、病死、事故死、変死(自殺・他殺)という死の原因に違いはあるが、何れも死ぬことにかわりはない。しかし、俗世間での死の価値には大きな差異がある。美化される死、揶揄される死、重視される死、軽視される死・・。
 拙僧は、“死”は死であり、俗人が価値判断をすべきではなく、犠牲だ、犬死だ、立派な死だなどと死を評価し、差別すべきでないと考えている。
 以前、説法でも書いたことがあると思うが、拙僧は“己にとって意味の有る死を遂げたい”と語っているはず。それは己の己の死への己の評価であり、他に向けるものではない。だからこそ、癌仲間、禅仲間には「死は他人事、自分の死は経験できないから、永遠に生きることとして生きよう」、「死ぬ覚悟などしなくても誰でも死ぬが、生きる覚悟を決めないと生きた屍になるぞ」、「死は新たな生命を誕生させる転換点で、細胞分裂のようなものだから、子孫が出来る出来ないなどは、権力者が考え出した“家制度”の問題であり、子供の有無など人生には何の関係もない」、「世界的に見れば死ぬより生まれる方が多いので、日本ぐらいは人口を減少させ5000万人で機能する国家を目指せばよい」、「人間は病気や事故では死なない。死ぬのは寿命が尽きるからだ、使命を全うしたからだ」、「死に急ぐな、生き急ぐな」・・・。その場、その場で、方便を使っている。
 ところが、拙僧にとって他人の生死は身近であり日常であるが、“病院で生まれて病院で死ぬ時代”、魚も肉も店頭に並んでいるのは死骸で、一寸前まで遊んでいた庭先の鶏が夕食の食卓に上ることや、釣ってきた魚、捕まえた獣を父母が子のために殺す姿は見なくなった今、現代の大半の日本人にとって死は"非日常”なのである。統計を解釈すれば、男女平均で80年という長生き国家の日本でも、毎日3000人の人が死んでいる。しかし、同時に3000人弱が生まれている。結果、人口は若干減ってゆくが大きな変化は見て取れないにも関わらず、机上の統計数には表れ、現状を“少子高齢化”と名付け、“地球温暖化”だ、天然資源の枯渇だなどと同様の切り口で、官民揃って“日本の危機”だ煽り立てている。拙僧に言わせれば、そんな些細な事は『少欲知足』、『以和為貴』、『質実剛健』を肝とする“禅的生活スタイル”を実践すれば問題にもならない。しかし、経済合理性しか見えない拝金主義の亡者は、マスコミや風評を操り、一億総パニックを演出して大騒ぎする。それは、情けないことだが、所謂『健康・環境関連事業』という日本の新たな産業基盤整備を目論む一部の特権階級が失われた利権を補填するために新しい利権構造を作ろうとしているだけなのが悲しいことである。
 (注)建前と本音に開きが在りすぎる。
 さて、今日、一人、二人の著名人の死から沢山の思いが漏れ聞えて来る中で、コソコソとパソコンを持ち込んでいる国立ガンセンターの待合室での今・此処の己は、自分の死をそっちのけにして、他人の死を評価している声を聞いている。確かに、待合室に居る彼らにとっては死は身近なのだろう。勿論、私にとってもだが・・・。
 ところで、本日のネット禅会に先立ち、拙僧が日頃から話している死に纏わる話を、思い出した順に書いておくので、本日のネット禅会までに、『己の死』について考えておいてください。勿論、坐る時は全てを捨てて姿勢を正し、呼吸を正し、心を正して、頭の中の言葉を全て吐き出して坐ることは忘れずに。
◆『自殺』とは『自ずからを自らの手で生物学的な死に至らしめる』ことで、日本の場合は、『死ぬ事で生きる』という積極的な選択と『四苦八苦からの逃避』という消極的な選択という両面を持つ『人生の始末のつけ方』、一つの方法論であり、前者は美意識、後者は醜意識に通じる。
◆死は生と不可分不可同の現象の転換点であり、循環の通過点であるが故に生死一如である。つまり、誕生が祝い、死亡が弔いという決め付けは合理性を欠く。生死は重畳的連続現象である。
◆『極楽・浄土』とは四苦八苦から離れた自由で清浄な土地であり、『地獄』は自由が束縛された四苦八苦が因縁に従って現象する不浄な土地。つまり、両方とも、人間の無智が作り出した事実の解釈であり、事実の陰、幻、陽炎のような心象であり、権力者が大衆を支配するために、否定も肯定も証明できない言葉を凝縮した道具である。
◆『魂』とは拘りや囚われ偏りにより生じた変性意識であり、『霊』とは無智が生んだ未知の現象に対する仮初の姿で心身二元論の産物。
◆『己』という“本来”は、時、空間、意識も超越した無色透明の全体であり部分で、万物の一露、大河の一滴である。
◆『我』という己の“仮初”は、時、空間、意識により翻弄されている有色汚濁の部分であり、大河の澱である。
◆???????。此処は坐禅が終わったら、コピペして“気付き”を書いておいてください。

一日一生  慧智(070529)  築地ガンセンター待合室にて 
『願以此功徳・普及於一切・我等與衆生・皆共成佛道』

投稿者 echi : 2007年05月29日 12:02

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