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2007年04月29日

●良寛和尚の『我生何処来』を思う

我生何処来、
去而何処之、
独坐蓬窓下、
兀兀静尋思、
尋思不知始、
焉能知其終、
現在亦復然、
展転総是空、
空中且有我、
況有是與非、
不知容些子、
随縁且従容。
■慧智の読み方(標準的な読み下しではない)
我が生は何処より来り、
去って 何処にか之(ゆ)く、
独(ひと)り蓬窓(ほうそう)の下に坐して、
兀兀(ごつごつ)として静かに尋思(じんし)す、
尋思するも始(はじまり)を知らず、
焉(いずく)んぞ能く其の終りを知らん、
現在(いまある)も亦(ま)た復(ま)た然り、
展転(ゆくさき)は総て是れ空、
空中(このよ)に且(しばら)く我れ有り、
況んや是と非と有らんや、
如かず 些子を容れて、
縁に随いて且く従容(しょうよう)たる。
■慧智の解釈
 私の命は何処から来て何処へ行くのだろう。ひとり庵に坐って考える。しかし、幾ら考えても命の始まりは解らないし、終わりゆく先もわからない。今・此処・己ということも釈然としない。時は常でなく、全ては空であり、空の中にしばらくの間だけ現象しているのが私だ。ましてや、絶対的な善悪、良否、好嫌といった差別などはない。だから、私は縁に従いつつ、少しの間だけゆったり生きてみよう。
 さて、勝手な味わい方をしたが、皆には良寛和尚の気持ちに近づいて原文である漢文の方を味わって欲しい。
一日一生 慧智(070429)

投稿者 echi : 2007年04月29日 16:03

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