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2007年04月26日
●『一切皆空』故の『行』
『行』は、八正道。“正しい”行為、全ての活動に成り切って生きること。心と体は表裏一体。不可分不可同。即ち、心は体あって心、体は心あって体。縁の結晶です。
究極的には、“虚無なる我”の原点である“空なる己”をも捨て去って生きること。それが『無心』ということです。“あるがまま”の現実を素直に受け容れる。現実と一体となる。対峙しない。痛いときは痛い。死ぬ時は死ぬ。元気な時は元気。現実を受け容れずに抵抗するから“苦”が生まれる。苦も楽も瞬間的であり相対的で絶対的実体ではない。つまり“思い様、考え様”で評価は逆転するようなもの。
故に“修行(行を修める)”により『一切皆空』が現前し、己と宇宙が一体という般若が目覚め、『一切皆苦』が消滅する。
『般若』即ち『全身の智慧(力)』は、人生を自由自在、融通無碍なる日常に変身させる。
だからこそ、“行”は人生の原動力。歩歩是道場。禅堂だけ、坐禅だけではなく“働く(他楽、他を楽にする)”事が大事。活人禅者は衆生のモデルになるべし。
『獲得的な知識と生得的な智慧』のハイブリット型のエンジンで動くような大衆は、多くの場合、悩みや不安を解消できないものとして修行に入る前に諦めていることが多い。
しかし、先ずは挑戦せよ。とことんの坐禅は、無対立・無犠牲・自主独立に生きる慈悲の塊へと己を変身させ、全ての現象の部分である己を実感して『乾坤只一人(天上天下唯我独尊)』に気付き、自他一如を体現するようになる。
すると、無縄自縛の縄は消え、一切皆空を体現して一切皆苦は消滅する。即ち、己が慈悲と智慧の結晶であることに気付くき、不安も無ければ恐怖も無い人生が見える。生老病死に囚われない大安心の世界が現前する。
坐るべし。只管に坐るべし。何処でも良いから『坐忘』となるまで坐るべし。
一日一生 慧智(070426) 本日の起抜け説法から抜粋
願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを
投稿者 echi : 2007年04月26日 08:29
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