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2007年04月24日
●山花開似錦 澗水湛如藍(碧巌録第八二則 大龍堅固法身)
表題は、千年ほど前、中国宗代の禅僧・大龍智洪禅師が弟子の問いの応じたもので、「山花(さんか)開いて錦(にしき)に似たり 澗水(かんすい)湛(たた)えて藍の如し」と読みます。
詳しくは『碧巌録第八二則 大龍堅固法身』。本則と評唱の一部を抜粋すると以下の通り。
◆本則
大龍因みに僧問う、色身敗壊す、如何が是れ堅固法身。
龍云く、山花開いて錦に似たり、澗水湛えて藍の如し。
◆評唱
古人の一機一境は~照用同時、人境倶奪、双放双収、時に臨んで通変す。
大用大機~明鏡の台に当りて胡来たれば胡現り、漢来たれば漢現るに大いに似たり。
見ずや僧雲門に問う「樹凋み葉落つる時、如何」
門云く「体露金風」と。
弟子が大龍和尚に「色身は敗壊す、如何なるか是れ堅固法身」と問います。
意味は「生身の肉体は必ず老いや病に侵されやがては死んで無くなりますが、老・病・死に左右されず永遠に滅びることのない生命・仏身・真理とは如何なるものでしょう」と。
すると、大龍和尚が応じて「山花開いて錦に似たり、澗水湛えて藍の如し」。
意味は「山に咲く花々が錦を織り成すような百花繚乱の春景色に似ている。谷川の流れは時として渓谷の淵で水を青々と湛えているが、実際には淀む事無く流れ続けている」と。
■慧智の講話では
「もし・たら話」はするな。人間は病む時は病む。死ぬ時は死ぬ。昨日は過去で変わらん。明日は未来で可能性しかない。無くなる、無くならないなどという二項対立に囚われ、拘り、偏った先入観でオロオロしてどうする。諸行は無常。永遠なることとは、全ての物事は変化流転し、増えず減らずということだけだ。
景色だって移り変わる。一瞬たりとも留まることはない。人間の心も同様。だからこそ、選好みは不要。ご都合主義はいらぬ。日々是好日。咲いてよし、散ってよし。降ってよし晴れてよし。濡れても乾いても永遠ではない。全てを“あるがまま”に受け止めてこそ『大安心』、即ち究極の幸せだろう。素直が一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂だろう。答えが人の数ほどあることに現をぬかしている閑があれば、眼の前にある“出来ること・すべきこと”に全力を注入しろ。疲れ果てて寝ろ。そこには不安など起き様もない。
ワシは皆も知っての通りの出る釘坊主、悪たれ坊主。言わしてもらえば、善だ悪だ、自力だ他力だ、自然だ不自然だ、温暖化だ少子化だ。景気が好いの悪いのとバタバタするな。過去は変えられん。明日は解らん。だから、今・此処を精一杯生きろ。一日を一生として生きろ。出来る事をせよ。すべきと思うことをせよ。それが明日をつくる。それが因縁論だ。バタ臭い因果論に振り回されるな。一つの原因が一つの結論を導き出すなど科学理論の世界だけだ。理論は生きてはいない。自然も人間は生きているんだ。山川草木悉皆成仏。如何なる物事にも、自分の都合の良し悪しに関係なく感謝だ。生かして頂き、活かされていることこそ幸せ以外のなにものでもないだろう。己を含めて全ての人間は己の師匠。反面教師も亦教師。『度・断・学・成』、与えて捨てて学んで実る。
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへん・せいがん・ど)
煩悩無盡誓願断(ぼんのうむじん・せいがん・だん)
法門無量誓願学(ほうもんむりょう・せいがん・がく)
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょう・せいがん・じょう)
一日一生 慧智(070424)
★願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを
投稿者 echi : 2007年04月24日 03:06
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