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2007年04月19日

●『日月雖有清明 不照覆盆之下(じつげつにせいめいありといえども、ふぼんのしたをてらさず))』

表題の文字通りの意味は「太陽や月に自然な明るさがあるとしても、盆が覆った下を照らすことはない」というもの。
さて、句中の『盆』とは一体何なのか。『盆が覆う』とは、どういう状態か。だから、どうしろと暗示しているのか。
禅語として受け取ることと、教訓として受け取ることの違いは、時代的な背景もあるだろうが、それ以上に“受け取る側の心”の違いなのだ。禅士が己の修業と同様に重視しなければならないのが、衆生の手本となる生き方をすること。となれば、“人を観て法を示す”が大事となる。それは、小さな子供から漢語の専門家や老師に至るまで、相手に相応した理解が必要だろう。それは無心となって自他一如が体現できていれば何の懸念も要らない。しかし、そこに至るまでの道においては、その交わりから生まれる“本質的な学び(気付き・悟り)”にこそ、一大事がある。
 さあ、禅士よ“見解(けんげ)を伝えよ。ただし、言葉は不要。
 「願わくは、この功徳を以って普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを」
一日一生 慧智(070419)
◆追記
昨日、寺の管理を一手に引き受けていてくれた村上夫婦の夫が脳溢血で倒れたとの連絡を受けた。生死事大 無常迅速 光陰可惜 時不待人。悔いなく生きることは日々を全力で生きていることにほかならない。病む時は病む。素直に受け入れ、出来る事に全力を尽くす。因果を超えて因縁に生きる。快復を心底より願うのみ。
 

投稿者 echi : 2007年04月19日 09:07

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