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2007年04月12日

●『信じる事、疑う事』の意味

二見は危険であるが、極論を示した方が理解しやすいので、『信じる・疑う』すなわち禅で言われる『大疑大悟』について話します。 
西洋(キリスト教文化)の思考様式の特徴は、神を信じ、他人や事象(事実)を疑うことが基本。
東洋(仏教文化)の思考様式の特徴は、他人や事象(事実)を信じて、自分を疑うことが基本。
さて、皆は、この表現を信じるか。受け容れるか、拒絶するか。
仮に、“信じ”という部分を“受け入れ”と変えたらどうだろう。
『清心万能・邪心万危』という教訓がある。
これは、性善説の発想と理解するか、性悪説の発想と理解するか。
仮に、会社で上司に怒鳴られた。その時“悪い上司”と思うか、“自分が悪い”と思うか。場合により異なるだろうが、何れが“学び”が多いと思うか。
人には、外向型と内向型、他責的(型)と自責的(型)という心理学的傾向があるが、何れが成長にとって効果的か。
信じる事は愛すること、愛することは信じることか?
疑う事は拒絶すること、拒絶することは疑うことか?
デカルトが提唱した『方法論的懐疑』は、彼の言う“真理”に到達するために疑うという“方法論”としての懐疑であり、全てを事実を疑い、疑問が晴れたもののみが真理であるという考え方だ。
皆は、これに同意するか。
仏教の『懺悔(SANGE)』とキリスト教の『懺悔(ZANGE)』、読み方も違えば意味も違う。
皆は、理解できるか。
さて、本題である。
以下は、ご存知の四句請願と対となる懺悔文(さんげもん)である。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かうゆうむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいそしょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

表面的な意味は、以下の通り。しかし、『悪の認識』は意識的か、無意識か。そもそも“悪”とは何か。また、“悪”の対極が“善”か。考えてみると良い。とは言っても、考えて解るものではない。本日の講話の内容は頭で解ってもの、それは生きる意味を見出せない。坐る以外にはない。暫くは、坐禅三昧でいて欲しい。少々体調が思わしくなく、辻説法が途切れ途切れになるかもしれないので。
『私の父母が生まれる前の私は沢山の悪い事をしています。それは真理をしらない無知が原因で、日常の動作や言葉や考え方を通じてのことです。己に降りかかる全ては己の心の問題であり、真理に目覚めていなかった事を悔い改めます』と意訳したが、誰に対しての言葉か。
一日一生 慧智(070412)

投稿者 echi : 2007年04月12日 04:18

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