« ●聞声悟道、見色明心 | メイン | ●“生きながら仏になる道(菩薩道)”を教えてくださいという必死の声に応える。 »
2007年04月08日
●言葉の怖さ故の『不立文字』か。
今朝、テレビで“absolute(absolution)”を、“実体(実態かもしれない)”だと、わざわざコメントを付加して訳した大学教授がいた。その瞬間、私は“これだ!”と思った。
そもそも“absolute”はラテン語に起源を持つ英語で、[ab+solute]で、 概念的には、全ての力から完全に解き放たれた絶対的独立であり、疑う余地の無いことを示す副詞ないし形容詞で、名詞的には『原理・原則』となる。そして、哲学用語では『何者にも依存しない』という概念を持ち、キリスト教の影響下にある思想用語では『絶対者、神、実体』という意味で使われる。
この程度は高校生の英語の授業で出てくることで、取り立てて大騒ぎする必要はない。所詮、英語を日本語に、日本語を英語にするような意訳の場合は“曖昧性”が拭えないことは誰しもが知る大前提で、「経営をマネジメント」と訳すような的外れは日常茶飯事なのである。
今朝、気付いたことは“無知を自覚できていない権威者(知識人・文化人を含む)”が、大衆に向かって“誤り”を述べ、大衆はマスコミを通じた権威者の言葉に強く影響を受けることであり、悪意の無い権威者が無知な大衆に対して送る言動が誤りを定着させてゆくということに危惧した。
拙僧は、決して権威者ではない。しかも悪意も無い。ただ、拙僧の体験から得た“幸せ(≒大安心)に至る道”を『千日説法修行』として語っているだけで、如何に言葉を尽くしても“一坐の効”には及ばないことを感じて頂き、『坐禅』の素晴らしさを伝えているだけである。“ホッとする禅語”のような優しく思い遣りに満ちた言葉も、相田みつおさんのような心に響く素朴な“かな言葉”も提供できていない。否、“それ”をこの辻説法の使命としてはいない。
しかし、考えてしまった。毎日100以上のアクセスがあったり、四分の三以上が新しい読者からのアクセスを考えると、そもそもネット禅会の禅者に向けて話から始まった“辻説法”が、今や私を直接知らない方々に読まれていることへの不安が芽生えた。
『言葉』、それを書き残す『文字』は、便利だが危険な文化である。『以心伝心』『直指人心』・・・。それが禅会なのだが、インターネットを通じての禅会にどれ程の価値があるか。白隠禅師の坐禅和讃は、ネット禅会を前提にはしていない。しかし、釈尊や達磨、臨済の祖師は“それ”を含めて伝えてくれていたのだ。
春になりました。ネット禅会の方々も、一度は寺の禅会に参加し、親しく同じ空気を吸い、同じ物を食べて雑談に興じようではないか。
禅会参加や禅に関することは、info2@ryobo.org にメールしてください。皆様の基準からすれば“愚か禅僧”かもしれないが、持てる全ての力を提供しようとしている意欲だけは信じて欲しい。
“言葉の力”は両刃の剣。活人剣であり殺人刀。されど“両亡”。これを如何に言葉で伝えるか。それが拙僧の永遠の課題。
一日一生 慧智(070408)
★追記
アップロードしてから、ふと気付いたのですが、TVで発言した彼は、哲学では類似の概念を示すことから、「substance」を「absolute」と単純に良い間違いただけなのかしれない。とするなら、拝物主義者なのかもしれない。
★★追記2
一日中“水”を飲んでいた。痛みは激減し、体温は37度。すこぶる快調。明日は忙しくなる。それにしても土日祝祭日は、気が緩むためかダウンしている。もったいない。諸行無常、光陰可惜、時不待人、と時は金なり・・・。最近は坐睡をしていると太腿が鬱血し、腰に鉄板が差し込まれたようになるので、坐禅すら一炷がやっと。しかし、寝込んでいては“無駄死”になる。
★★★追記3
2003年4月7日が“虫(無私か、無死か)の知らせ”で書き始めた『辻説法』の始まり。今日から“5年目”に入る。
2003年12月24日が末期癌の宣告を受けた日。
2004年6月25日が、命日の予定日。
2007年6月25日を越えれば・・・・今日から、また“一日一生”を積み上げよう。
投稿者 echi : 2007年04月08日 10:49