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2007年03月01日
直心是道場 歩歩是道場
「歩歩是道場(ほほこれどうじょう)」(趙州録)の語は、もとは維摩経の中の「直心是道場」という維摩居士の言葉に由来している。修行は山中の閑静な処にあっても心に妄想や邪心があっては修行とは形だけで其処は“道場”とはいえないし、素直な心で一日一日を一生に準えて修行をするならば、そこが病院のベットの上であれ、事務所や街中のような喧騒の場であれ“道場”、即ち修行の場です。言い換えれば、ビジネスの世界に身を置いていようと、心掛け次第で一日一日が成長の過程となり修行の場となります。例え、満員電車に乗っている時でも、風呂に入っている時でも、心がけ一つで、そこが道場、修業の場です。縁の快川紹喜和尚の遺偈にも「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火自ら涼し」とあります。
因みに、「歩々是道場≒直心是道場」で、「光厳童子という修行者が、騒がしい城下を出て、閑静な修行場所を探していた時、維摩居士に出会ったので、「どちらから来られましたか?」と訊ねると「道場から来た」という答えが帰ってきたので、空かさず「その道場は何処にあるんですか」と問い直すと、維摩居士は「直心是道場(じきしんこれどうじょう)」と返答をしたことに由来し、「直心」とは素直な心、我見、我執のない真っ直ぐで無雑な心のことです。
一日一生 慧智(070301)
投稿者 echi : 2007年03月01日 19:56
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