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2007年02月22日
辻説法『伝えたかった事』
禅を解りやすく言えば、見えるものより見えないもの、聞こえる声より聞こえない声、聞こえる音より聞こえない音・・・、と言えなくもないが、本当は“分別”というややもすると二項対立や二律背反という『神経系(電気的)』にみられる“0対1、プラス対マイナス、有・無、苦・楽、正・否”という「父母未生以後」の相対的な考え方に偏らず、囚われずに、納所両亡、極論を排し、足して二でわるような単純な中間ではなく絶対的な原点である中庸(主人公の立ち位置)という“一点”、始まりも無く終わりも無い、裏も無く表も無い、そして立ても無く横も無いところで生きる生き方、解釈の背景にある事実の根底にある普遍性・原理・原則(安易に真実などと言ってはいけない)を全身で受け止められる自然体で生きることを時間や空間、祖や師という区別なく、誰にも頼らずに、己を師とも祖ともして修行に励むことである。
それには、事実から眼を背けずに事実(実態ではない)の世界に身を置き、眼前に現象する全ての背景(共有する法則性)を発見し、記憶し、即(今・此処・己)の行住坐臥に投影して生きる。極論を言えば、『禅とは己を祖師として己に帰依する宗たる教え(宗教)』と言える。
知る限りにおいて禅以外の全ての宗教は、己の外に向かって手を合わせることで楽になろうとするが、禅は己の内側に向かって手を合わせて一切の先入観、無縄自縛から自分で自分を解放する唯一の宗教だと思う。言い換えれば、『最初に言葉ありき、文字ありき』ではなく、『最初にも最後にも文字も言葉もない』と考えるから、不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏であり、以心伝心であり、無事是貴人であり、日々是好日、山は青く川は緑で花は紅。全てが一つで一つが全てなのである。
さて、私は禅を伝えようと何十年も生きてきた。しかし、伝えられないまま生物学的な生命を終わろうとしている。言葉を駆使して言葉の怖さと非力さを伝えようとして言葉を失い、言葉を使わずして真に気付いてもらおうと無為なことをしてきた。疑って疑って信じて信じた。そして、気付いた。「全ては不増不減・不生不滅・不垢不浄・・・」。その日まで淡々と暮らすことこそ素晴らしいということを。縁に随い全てを受け入れ、今・此処で己に出来る事を“すべき事”として生きることを。
●遺言:おい、主人公。出来る事をすべき事として全力で行い、今を堂々と生きろ。遺骸は山に捨てろ。葬儀はするな。俗名も戒名も不要。
慧智
投稿者 echi : 2007年02月22日 09:11
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