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2007年01月03日
万法帰一 一帰何処
『万法帰一 一帰何処(万法は一に帰す。一はどこに帰すか?)』は、碧眼録45で趙州和尚に対する“質問”です。これに対しての趙州和尚の返答は「私が故郷の青州で一枚の麻衣を作ったが七斤(4,2キロ)もあった」であった。
「多即一 一即多」は「色即是空 空即是色」という般若心経を一度でも本気で読んだら解るから、即軽薄な雲水は、「万法帰一 一帰万法」という“正しい”常識的な返答をするだろう。また、未だ初関が通らない修行の浅い雲水は「麻三斤(碧眼18参照)」と頭で返答するかもしれない。しかし、趙州和尚は「私が故郷の青州で一枚の麻衣を作ったが七斤(4,2キロ)もあった」である。
禅は単なる哲学や思想ではない。況や因果論科学などではない。質問が同じなら答えも同じという“演繹論”ではないし、文法論のようにA=BならB=Aではない。日本語や朝鮮語なら「山は春である≠春は山である」、即ちA=BでもB=Aは成り立たない。寧ろ、「AはAでないからBである」となる。それ故に禅は厳として禅なのだ。質問に対する応えは個々人の個性的で独自の体験の中で得られる真理(事実ではなく、事実の体験が誘発する真理の発見)の間髪を入れない返答であり、それから導き出させる日常の行動である。
さて、「あらゆる現象は一に帰しますが、全ての人間の解釈と表現は無数です。何故ですか?」
虚庵快紹慧智(070103)
投稿者 echi : 2007年01月03日 23:57