« 野狐禅和尚の辻説法『時々勤払拭』 №809 | メイン | 野狐禅和尚の辻説法『熱時熱殺闍梨』 №811 »
2005年07月20日
お応えします『坐禅をすると頭がよくなりますか?』 №810
高校2年生からの質問がありました。「先日、グループ研修で近くの寺で坐禅をしました。その時、和尚さんが「坐禅を続けると頭がよくなる」と言っていました。それが本当なら来年は受験なので、近くで坐禅を続けようと思い、HPで検索したので質問に答えてください」という内容。
喝!、自分で考えろ!坐禅で頭がよくなるなど聞いたことがない。そもそも、双子がいて、一人は坐禅をさせ、もう一人は坐禅をさせないなどという実験も聞いたことがない。それに、坐禅は“心”がくすまないように、大自然の営みの一部としての自分に素直になる、素直であり続けるための手段の一つであり、くすんでしまった心を自分で綺麗にするもの。“下心”があれば、坐禅にはならない。和尚が話した「坐禅を続けると頭がよくなる」というのは、方便であり、“風が吹けば桶屋が儲かる”というのとかわりない。つまり、君達の“今の在り方”に対して疑問を持った和尚が、君達でも解るように表現しただけだろう。
私の経験から言えば、10年坐った人間と、そうでない者を観察すると、物事に動じない、落ち着いている、どんな状態でも暮せるだろうと思える・・・など、幾つかの共通点を見出すことは出来るが、逆に考えれば、“そういう人間”だから禅堂で10年暮せたと言えなくもない。つまり、『坐禅は結果を求めない』、只、只管に坐る。それ自身が目的であり、手段なんだ。坐禅を経験し、それが下心であれ、多少なりとも興味をもったのであれば、それも何らかの縁。家でよいから、坐禅でなくても良いから、“10年後の自分”をどうしたいのか、ハッキリしたイメージが出来るまで、一日20分、言葉(何も考えない)を使わない時間を持ってごらん。そして、それで感じたことを行動に移しなさい。“下心”があるような者は、その下心がなくなるまで、禅堂ではなく、玄関で坐ってもらいます。勉強や人生のことで困ったことがあれば、どんな相談にものりますが、それと坐禅は別です。坐禅は、自分自身との真剣勝負。“こいつは坐れるな”と思わなければ、誘いません。坐れば、如何なる疑問も“自ずから”晴れる。しかし、“解った!”と思ったら、その高まりが消えるまで坐る。悟っては捨て、捨てては悟り・・・を繰り返す。そして心がカラッポになるまで坐る。すると大自然の一部となり、勉強などせずとも全てが全身で解る。全身が心になる。知識、智慧、叡智は意味が違う。生きて行く上で何が大切か。それは。少なくとも“知識”でも“金”でも“己”でもないだろう。『今、何を成すべきか』、君は“それ”をしていれば良い。
慧智(050720)
投稿者 echi : 2005年07月20日 07:55