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2005年07月15日

野狐禅和尚の辻説法『独釣寒江雪』 №806

時々、茶室や旅館の床の間で見かける山水画の讃にある『独釣寒江雪』は、禅林句集に挙げられた立派な禅語で、「ひとり・つる・かんこう・の・ゆき」と読み、厳冬の中で一人黙々と修行に励む禅僧をイメージさせつつ、如何なる場所でも“修行”とは、他の群れていては“己”との対話が出来ず、聞こえるはずの心底の声も、大自然が語りかけてくる法話も聞き取れないので、切磋琢磨も良いが、夜中に一人で山中に坐す時のように、暁天に「独坐大雄峰」の意味に気付くように、しっかり坐れ、ということだろう。一人で坐る、一人で行脚する。弘法大師ではないが「同行二人」。お遍路は、どんな時でも一人じゃないよ、弘法大師といっしょだよ、一心同体だよ、という方便で、時に挫けそうになる善男善女を勇気つけて居るが、禅では「物我一如」というように、いつだって一人ではなく、“万物と一体”、正に一心同体であり、それを体感することが修行であるゆえに禅宗では教祖を崇めず、教祖は“兄弟子”という位置付け。そして、祖に会って祖を殺し仏に会って仏を殺し、という言葉で表しているように、全ては己との戦い、目指すは己の真の姿である“仏”との一体化で、相対的な目標を持たない故に、禅は孤独な修行と言われるが、実は、禅に孤独は無い。山川草木悉皆成仏、全てが一、一が全てなのである。また、部分が全体であり、全体が部分なのである。故に色不異空、空不異色、色則是空、空則是色、不生不滅、不垢不淨、不増不減・・・・、なのである。
 『独釣寒江雪』、禅会であれ、独参であれ、夜中に一人で大子の山中に坐し、川の流れ、鳥の声、木々の囁きを聞き、月の励ましを受けて星とともに坐るのは、一坐、百坐の価値がある。夜坐は正に“野坐”。7月23・24日の活人禅会では、それを味わってもらおう。
 兎に角、修行は集まれど群れず。俗人には一番辛いかもしれないが“一人”こそ“万人”、万人こそ“一人”を感じ取って欲しいものである。
慧智(050715)

投稿者 echi : 2005年07月15日 00:43

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