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2005年07月12日
野狐禅和尚の辻説法『智者不言(しるものはいわず)』 №803
『智者不言(しるものはいわず)』、只、この一言。しかし、それで済まないのがお節介坊主である。つまり、本物の賢者は口数が少ない、というのだから、少なくとも私は賢者ではない。思い出すに、老子や荘子は、正に、そのように考えていたのだろう。それに追い討ちをかけて「言う者は知らず」とある。真実を知る者は無口。然りである。禅は勿論、老荘思想でも、人知以前の純真素朴を大事にします。つまり意識より潜在意識ということです。潜在意識は38億年に及ぶ先祖の教えが下敷き。昨日今日の浅智慧とは比較にならないほど深遠。つまり、本で覚えたような他人の知のパクリなど、さも其れらしくしても、所詮は借り物。俗に溢れる小利口など論外。正に、「大智は愚の如し」である。
今日は、初々しい中学1年生の授業。半年前まで小学生に、“仕事”や“進路”の考え方を教えるのは、なかなか難しい。しかし、黙っている訳にはゆかない。そこで、世の中が必要とする人間はどんな人か知っているか?と始めた。皆、ポカン~。次には『働』という文字を解き明かし、目的を持って目標に対して人が動くのを“働く”ということだと版書しながら振り返る。またもポカ~ン。そこで最後に切り札。「僕はね・・・」と、身の上話。少し反応あり。それに味をしめて「ここに君達からの質問があるね。先ずは“これ”に応えよう、と紙を見ると、年収は?、ゲームはするの?、何時間寝るの?、家は何階建て?、大学では何を勉強したの?・・・。思わずニコリ。つい半年前までは小学生なんですね。“聞きたがり”なんです。ということで、45分。中学生の心構えや仕事についての話を織り交ぜ、子供達にも話させながら授業を終えた。そして、フッと、何を聞いてもニコニコしながら、答えなかった祖父の偉大さを思い出した。答えれば考えない。聞かれたら“応える”が“答えない。すると、子供は考えるようになる。そう考えると、学校とは“考えない人間”の製造装置なのかもしれない。説教だって同じだろう。庭を掃いている姿を見せる。そこに利他の心を学ばせる。知識は本で学べるが、智慧は姿からしか学べない。さてさて、今日もネット禅会。さあ、坐ろう。
慧智(050712)
投稿者 echi : 2005年07月12日 21:19