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2005年07月12日

野狐禅和尚の辻説法『悟了同未悟』 №802

 『悟了同未悟』は、「ごりょうどうみご」と読む場合が多い。意味は、悟り終わって、未だ悟らずに同じ。活人、達人、そして名人。人生の最高峰である“名人”の境涯を表わす言葉で、平たく言えば「菩薩のようでもあり修羅のようでもあり、俗人からは見通すことが出来ないほど大きい人」と言っても良いだろう。老子の道徳経に「大直若曲、大巧若拙、大弁若訥」という一句がある。読みは「大直は曲の若く、大巧は拙の若く、大弁は訥の若し」。意味は「(愚か者からは)真っ直ぐな人は曲がっているように見え、技量に優れたもの人は不器用に見え、雄弁な者は口下手に見える」と解して良いだろう。偉大な者が偉大に見えるようでは未だ、未熟。賢者が賢者に見えるようでは賢者とまでは言えない。何とも趣がある言葉である。確かに、俗の世界では、切れ者が切れ者に見えれば警戒され、卑怯者にバッサリというのは良く有る話。同時に、『三人寄れば文殊の智慧』というが、それは「凡人が三人寄れば文殊の智慧」であり、「愚か者が三人寄れば大戯け」、「賢人が三人寄れば????」
 今日、幾つかの会議があった。人生勉強であった。人生は本当に面白い。イロイロな人がいる。知識が豊富な愚か者。知識や技術は未熟のように見えるが大きな仕事が出来る智慧者。まあ、何れにしろ、「賢者は愚者に学び、愚者は賢者に学べず」を実感した一日だったし、『心眼』を持つ事の大切さを痛感した。
 さて活人諸君。反面教師に学んでいるかな?そして、謙った智慧者、思い上がった愚者は周囲にいないか?喝!!!!!。
 回向返照、他人を評価する閑があれば、己を見つめよ!!!。己の師は己以外に無い。毎日毎日、昨日の己を1ミリでも良いから抜き去ろう。それは『克己(こっき)心』。それこそが『悟了同未悟』ではないだろうか。
慧智(050711)

投稿者 echi : 2005年07月12日 00:42

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