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2005年07月10日
野狐禅和尚の辻説法『人間は自然の一部』 №801
人間はロボットではない。つまり自分以外の誰かが、その人生の目的や目標をセットしてくれることはない。しかし、“類”としても使命は、改めて知ることなく、知っている。私は、それを“協働”だと確信している。そして、人間、生まれた以上は必ず死ぬ。それは何故か。過去に囚われ、未来に拘っても、それには意味が無いという大自然の仕組みだろう。となれば、一生を協働の中で過ごすのは間違いない。生まれることで親に生甲斐を与え、成長することで喜びを与え、働く事で仲間に貢献し、老いては仲間の足手間取りにならぬようにして死ぬ。働ける内は長く働く。しかし、長く働くには己の特性を知って活かしていなければ一時期の労働力としかならない。そこで、己を知り、己を活かす道を探る。それを“修行時代”という。修行の結果、“己”を発見し“己の道”を歩む。修行の時間は、個々に異なるだろう。しかし、必ず“道”は拓ける。昔は「四十にして惑わず」と言っていたが、先人の恩恵で、当時の平均寿命の1,5倍が今日。一昔前の四十は今の六十歳だろう。言い換えれば、六十歳からが“本物の人生”なのかもしれない。仮に80年を四季(四期)とすれば、人生の仕上げは60からだろう。
『無門関』に、「春有百花秋有月、夏有涼風冬雪」とある。自然と己を一体として生きている様子が覗える。苦しい時は苦しめばよい。楽しい時は楽しめば良い。しかし、溺れてはならない。苦しい時にも楽しい時があり、楽しい時にも苦しい時がある。それは心の持ち様。苦も楽も心が作り出す幻想。そのような幻に迷うことなく、一日を一生として淡々と“己の道”を生きる。己の道は、己の強味を活かして協働に参加している道だろう。其の道は必ずや“大道”の一部となっている。己の人生の目的が言葉に出来ずとも、己を見つめて、己の真の強味に出会い、それを活かして協働する。そこには自ずから目標が浮んでくる。それは“昨日より一歩前へ”というものだろう。生を以て貢献し、死を以て貢献する。人生に迷ったら、縁に随って“利他”に徹して全力で生きてみよう。必ず“観得る。心の雲は必ず晴れる。つまり、今を怠惰に過ごすこと勿れ。快楽に溺れること勿れ。時を無駄にすること勿れ。『生死事大 無常迅速 光陰可惜 時不待人』である。そして「一坐七走」、時々は坐り、己を見直してみよう。
昨日はエアコンで快適な研修センターで一晩坐らせて頂いた。講義は走るに似ている。走れば坐り、己を点検する。そして、気付いた。四季を見失いかけている己がいることを。快適に暮らす事は、実は不幸なことだということを。山川草木悉皆成仏。暑い時は暑いように、寒い時は寒いように。自然と一体となって暮らす。それが正しい生き方なんだろう。
慧智(050710)
投稿者 echi : 2005年07月10日 17:34