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2005年07月07日

野狐禅和尚の辻説法『迷己逐物』 №799

 『迷己逐物』は「己に迷って物を追(逐)う」と読み、出典は碧巌録第46則の本則にあります。この則は『鏡清雨滴声』という公案で、「外なる刺激の源の全ては、内なる悟りの源」であり、内と外、音と声、頭と心などが分離していては“仏”の本質を体得できない・・・」
 俗世間では、自分の金と会社の金の区別がつかないという最低な者が居ることはしばしばマスコミを賑わしているが、この公案は“そんな”こと比喩としても論ぜず、悟り気付きに必要な“刺激”は内外を分別しない“声なき声、音なき音”に纏わる比喩を用いて修行僧に“一如”を観づかせるものです。それが46則のタイトルで“雨の滴”を何と取るか、に表れています。少し難しいかもしれませんが、『事実に何を学ぶか』を知って欲しい公案です。事実とは“私”が見る、聞くに関わらず現象している全てですが、私が事実と認めるには体験を必要とするのが俗の理解です。つまり、“私”という“我”が体験した事実は、純粋な事実ではないのです。この辺はヨーロッパの哲学(論理学)、言語学などでも探求しているので、多少なりとも哲学をかじった者であれば“一言”あるところでしょう。
 『学び』とは、『迷己逐物』からは得られません。『無心』とは、分別・弁別しない心であり、“先入観”を捨てた心のことです。先入観があるから『迷己逐物』となり『雨滴声』が仏であり、同時に己の心底の声、つまり御説法にならないのです。猫に小判、俗に雨音・・・。
『己以外は皆“我”の師』の心境から歩を進めると『自他一如』であり、『一切皆空』、“無”一字の心境への過程(この表現は野暮)でしょう。地位や金や物の亡者諸君、大事なのは“心”ですよ。家を建てて“家庭”を失う人は意外と多いのですよ。会社を取って人生を失う人も多いのですよ。今日は七夕。星が何を教えてくれるのだろうか。46億年前の宇宙を知る為に彗星を狙い撃ちする程度が“科学の限界”なんです。禅者であれは、報道から“諸行無常”を悟ってしまいます。
降って良し、晴れて良し。雨に学び、星に学ぶ。今日の禅会は楽しみですね。
慧智(050707)

6月30日で個展は終わりました。沢山のご来場に感謝します。

投稿者 echi : 2005年07月07日 07:09

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