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2005年07月03日
●野狐禅和尚の辻説法『悟無好悪』 №796
『信心銘』の「迷えば寂乱を生じ、悟れば好悪なし。一切の二辺は良に斟酌に由る」に出典を求めることが出来るだろう。読みは「悟れば好悪なし」とするのが臨済的であるが、曹洞的には「悟に好悪なし」と読むことも多い。当然、読み方により意味は異なるが、宗派に関わらず、禅者としては「万法如一、万法帰一」と同じで、悟ることということは二項対立の幻想からの解脱だということです。
俗世間は、勝った負けた、取るの取られるのと、先入観や固定観念に犯されている。
しかし、真理は、森羅万象悉有皆仏性、山川草木悉皆成仏・・・と表現されるように宇宙は一つであり、生命を含めた全ての現象は、相互浸透した相互補完の関係にあり、其々が位置のエネルギーを具備して、因縁果の法則に随い現象しているが故に、無常迅速であり、只、“今・此処”が全てとして捉え、“其々の其処”で全力を出し切って働き、無対立・無犠牲・自主独立を守り、与えられた仕事に誠実に取組むのが、この社会の唯一の在り方を示唆しているのです。
つまり、悟りを得た世界には、そんな生き方、あんな生き方などはなく、『只管に生きる』という、俗世間で言われる個々に異なる生き方の全てを止揚した在り方があるだけです。
「迷えば寂乱を生じ、悟れば好悪なし。一切の二辺は良に斟酌に由る」は、無明からの脱出を示唆している句です。それを実現するには、回向返照、只管に己を見つめ、己の使命を果たすべく悔いを残さぬように、一日不作一日不食、今・此処で出来る事に全力を尽くすだけなのです。
慧智(050704)
投稿者 echi : 2005年07月03日 20:36