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2005年07月02日

野狐禅和尚の辻説法『贖罪の山羊』 №795

 “贖罪の山羊”は一般的には“スケープゴート”として一般化している概念で、キリスト教の聖書に出典をみることが出来る。元来の意味は、民衆の不平や不満を他に逸らすための身代り、を指すが、その方法論である「政権にある者が、社会的統合を維持するために、自己の責任で生じた問題の原因を、社会的弱者や政治的小集団に起因するかのような幻想をつくりあげ、自己の利益を守る技術」でもある。この話から、東アジアの権力者を連想する人が多いだろう。勿論、このような話は身近にも溢れている。つい最近も地方の素材メーカーとしてそこそこの地位にあった会社の社長が経営改革を断行しようとしたところ、利権を一人で貪っていた社員や反主流は関係者が結託し、社長を“スケープゴート”にして追放し、経営権をまんまとせしめたが、その後、経営権を奪った者達に、スケープゴートの排除という共通目標が完了するや、其々の思惑の違いから徐々に結束を弱め、最近では内部崩壊が生じ、企業業績は更に悪化し、いまや、新たなスケープゴートを反乱軍の中で新たに見つけようとしている、と風の便りで聞きましたが、まるで、“バトルロワイアル”。まあ、似たような話は昨今は余りにも多く、嘆かわしい限りです。
 さて、贖罪の山羊を必要とするのは“執着”、“固執”、“我執”・・・と表現される“偏った心”であり、物事の本質を観ることの出来ない無智・無明であり、翻って言えば、正に『苦』の原因である“先入観”を捨てきれない貧しい心があるからです。バトルロアイアルのように、10人の弱者が暗黙的な同意から先ずは一番強い者を狙い撃ちに、次々と同じ事を繰り返し、最後に残った2人が最後の戦いをするので、9番目に弱い者が最後の勝利を得るというのが一般的なストーリーですが、その間の其々の思惑や評価の異なりから、方程式自体は確定論なのですが、結果は不確実性論理が展開され、多くの場合“そして誰もいなくなった”ということになります。つまり、玉石混交のこの世界は正に諸行無常であり、如何なる“下心”も、それが“有心”である限り、現実化する可能性は低いのです。
 この説法を読んで頂いている方ならお解りでしょうが、『玉石一如』と考えると、時間の関係で栄枯盛衰はあるでしょうが、最後は“あるべきよう”に納まりが着くのです。ですから、大事なことは、下手な分別を捨て、今、此処を全てとして全力で生き、如何なる結果も受け入れ、“知足”を心がけることです。人間本来無一物。下衆な争いに巻き込まれ、『生死事大・無常迅速・光陰可惜・時不待人』を常に心して生きることが大事なのです。それには“無対立・無犠牲・自主独立”の心がけが大事なのです。因縁果ですが、どこかで過去の因縁を断ち切らなければ、新しい明日は来ないのです。
慧智(050702)

投稿者 echi : 2005年07月02日 17:01

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