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2005年06月26日

野狐禅和尚の辻説法『身土不二(しんどふじ)』 №790

 朝は粥、昼は一汁一菜、夜は雑炊。これが修行僧の日常食。その上、全ては自給自足、とは言っても托鉢で米などは頂いてくる。自給自足も、畑で作る以外に寺周辺の山野を歩き野草を摘み、根を掘ってくる。正に「菜根譚」そのもの。Roots & Leaves Story、Equal Life & Nature. 最近の表現ではスローライフだろう。その心が、身土不二。物我一如の心である。「不許葷辛酒肉入山門」、くんしん・しゅにく・さんもん・に・いる・を・ゆるさず、とは言え、草木も生命であることにかわりはない。山川草木悉有仏性である。つまり、命は、他の命を殺生してしか生きられないという宿命がある。それ故に、最低限を守り、感謝と謝罪の気持ちを忘れない故、食事の前後には“偈”を唱える。
 ファーストフードとスローライフが対峙するなら、スローライフはファーストライフ(生き急ぎ)と対峙しているのだろう。
禅の生き方は『生死事大・無常迅速・光陰可惜・時不待人』を“板”に書いて、毎日毎日、心に刻み込む。「生死、即ち日常は常ならず、過去も無く、未来も無く、一瞬一瞬が連続するのが日常ゆえ、一瞬たりとも無駄にすることなく、時の流れに遅れをとるな」というニュアンスだ。即ち、「急ぐなよ、でも遅れるな、ゆっくりな」ということか、“自然体”、自ずから然るべく在れ、ということ。スローライフやスローフーズが、ノンビリ生きろ、ユックリ作れという今風とは些か違いがあるだろう。禅寺の修行僧は走り、動中の静を知る。そして黙して坐り、静中の動を知る。そして何時しか『静動一如』、『心身一如』、『物我一如』、となる。『身土不二』、重みのある表現である。
食糧需給率が50%を下回り、起業創業して淡々と企業活動をしてゆくことが軽視され、M&Aというハゲタカ流が世のトレンドだが、一方で、それに嫌気がさした団塊世代が大量に退職する時期が到来しはじめ、スローライフが農業、林業、漁業、ノンビリ旅行を連想させるらしく、退職後のセカンダリーライフでは“スローライフ”を目指しているようだが、少々軽薄ではないか、と感じている。機会があれば、第二の人生、後悔することにない半生とするためにも、一度は立ち止まり、心の声をしっかりと聞いてから動いても遅くは無いだろう。それがファーストからスローへの転換なのではないだろうか。それには一時、『坐禅と作務』に励むことが大切だろう。
慧智(050626)

投稿者 echi : 2005年06月26日 19:47

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