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2005年06月26日

野狐禅和尚の辻説法『把手共行(はしゅきょうこう)』 №789

 この禅語は、無門関第一則『趙宗狗子』に対する無門和尚の評語を出典とするとあって、余りにも有名であり、しばしば表現を替えて多くの公案、書物に引用されている。
『賊知賊』の項で書いたと思うが、“賊”同士は、その究極の目的を無言で共有し、釈尊が、達磨が、その目で見て、その耳で聞き、その全身で感じたものと同じ心象風景を得て、共に、“無”の体得を目指して大道を歩む。そこには切磋琢磨はあれど、競争など無い。あるのは“己という幻想”との戦い。二項対立、二律背反という幻想にみが敵となる。「犬にも仏性があるか」、“無”と応えようが、“有”と応えようが、表現された言葉に意味は無い。“有無”を超えた本来の面目世界、言葉が生まれた20万年前以前、AはAではなくAと呼ばれ出した時を超えて観れば解る世界を体得する。更には行住坐臥と大自然を分離してしまう以前、父母未生以前の本来の面目と一体化し、不可分不可同を知り、無対立・無犠牲・自主独立を知り、我執の幻想からの脱却を体得します。その時、何を観るのか。正に“把手共行”の世界なのである。
去ること35年。学費を稼ぐために“フーバー潜水”で水中写真のアルバイトをしていた時、館山沖で無心に仕事をした時、過去も未来も、水中も陸上も、そして“己”も、全てが一つに溶け込んでいるという体験をした。酸欠でも、常軌を逸していた訳でもなく、たぶん、己が己という生命を意識する以前とでもいようか、生命以前の“記憶”が蘇ったような気になったことがあった。それは幻想では無い。厳しい訓練の果てに潜水士免許(厚生労働省の認定資格)、港湾潜水技士資格(社:日本潜水協会認定)という資格を得ていたし、すべき仕事も全て完了させていた。有る意味で“不思議”な体験だったが、その時、『把手共行』という言葉が脳裏に浮び、言葉と自然が体に染み込み、共に仕事をしていたバディと己の区別が消え失せ一体化したのを体験した。
最近、スキューバ、スクーバという遊びが流行っており、二人を一組をして“一つの命”として海中散歩を楽しむ者達が多いが、時として自己が起る。今日も、知人から知人がダイビング中の事故で肺を潰してしまったことを聞いた。仕事なら止むを得ないが“遊び”でも事故とは残念。因果一如。善因善果、悪因悪果。安全が安全を生む。バディが一つの心、一つの体とならずに危険を遊ぶなど考えられない。
夏、それは心身に油断が生まれる時期。遊びも結構だが、“把手共行”を感じられるような“修行”も必要だろう。もう直ぐ“雨安居、夏安居”、とことん坐る。公案と心身を一体化する、禅宗では臘八大接心に次ぐチャレンジャブルな時期となるが、今年はどのくらいの雲水が悟るのだろう。そんな思いを巡らしながら、山梨での山作務から戻った。
慧智(050626)

投稿者 echi : 2005年06月26日 15:47

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