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2005年06月24日

野狐禅和尚の辻説法『別無工夫(べつ・に・くふう・なし)』 №787

 この語は、『正念工夫、不断相続』を強く要求する“公案”の心構えに一見して反していると思われる夢窓疎石和尚(相国寺開山)の言葉です。禅が一般の方に理解され難いのはこの辺にあるのです。私が方便の混乱として時々使う川柳に「頑張れよ でも無理するな 遅れるな」とか、そのバリエーションで「無理するな でも頑張れよ 遅れるな」、更には「遅れるな でも無理するな 頑張れよ」・・・・、一体どうすれば良いのか。それは簡単。他人の言葉に迷わされるな、という事です。夢窓疎石和尚は「日々工夫せよ しかし特別な工夫は無い」というのは、日常的な行い(修行)をしていれば、公案を頂いたとしても特段の気張りなど要らないはず、と言っているのです。言い換えれば、一日一日を一生として生き切っている者は瞬間瞬間が工夫三昧なので、特別な事など無いということ。正に日常に全てが現象しているということ。『日々是好日』『無事是貴人』『万般存此道』に通じているのです。
 さて、学生であれば中間試験だ、期末試験だと徹夜騒ぎをするし、企業人であれば企画会議だ、予算会議だ、決算会議と、それが恰も特別な事、非日常としてバタバタする。実に嘆かわしい。今日出来る事を明日に延ばさなければ、如何なる日でも“日常”である。特別な工夫など不要。つまり、夢窓疎石和尚の言葉通りである。
 昨日の高校の生徒からメールをもらった。就職試験には“どんな勉強がいるか”という内容。その応えが『別無工夫』である。特別な事は必要ない。一日一日を完全燃焼していれば、特別な事は何も要らない。解ったね。今日という日は一生で一回しかない。
『論語の学而第一』は、
『子曰、学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不温、不亦君子乎。』
子(し)曰(のたま)わく、学(まな)びて時(とき)に之(これ)を習(なら)う、
亦(また)説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)遠方(えんぽう)より来(き)たる有(あ)り、亦(また)楽(たの)しからずや。人(ひと)知(し)らずして慍(うら)みず、亦(また)君子(くんし)ならずや。
孔子云う、
「学んだことを繰返し実践していると、自然に身について来る。これは何とも嬉しいことだ。
志を同じくする友が遠くから訪ねて来て、一瞬の内に意気投合する。これは何とも楽しいことではないか。人目や成果など気にせず、只管に励む。これは何とも立派なことではないか」と。
学生君、下心など持たずに毎日を全力で生き切れ。それ以外に人生が満ち足りたものにする方法は無い。
慧智(050624)

投稿者 echi : 2005年06月24日 12:17

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