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2005年06月23日
野狐禅和尚の辻説法『賊知賊』 №785
『賊知賊』は、「ぞく・ぞく・を・しる」と読み、碧巌録第八則「翠巌夏末」に由来する禅語。意味は、文字通り。賊の気持ちや手口は賊だからこそ解る、というもの。転じて「悟りの心境は悟った者同士では阿吽の呼吸で解る」、翻って言えば「悟った者の心境は悟りの無い者には解らない」と思って良い。私は、この語(評語)が導かれた“関”には思い出がある。釈尊が蓮の花を掲げて迦葉尊者がニコッとしたのと同じような経験をし、『正法眼蔵 涅槃妙心 実相無相 不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏・・・』全ての公案がドミノ倒しのように連動し始めたことだ。
無門関第一則『趙州無字』の無門和尚の評唱である『把手共行(はしゅきょうこう)』の境涯も、『賊知賊』も煎じ詰めれば同じだし『以心伝心』も同じ。しかも『類は友を呼ぶ』も類語。朱に交われば朱くなる、というのも類縁である。
活人諸君、師は弟子を選ぶべし。弟子は師を選ぶべし。入った学校を何事も思わず卒業するようでは情けない。言い換えれば、何処の大学に入ろうと、そこを惰性で卒業しようなどと考えず、自分の知的好奇心を満足させられる師を求めて学部も学校も替わるのは“自然(じねん)”だ。解るかなTさん。
慧智(050623)
投稿者 echi : 2005年06月23日 06:21