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2005年06月18日

野狐禅和尚の辻説法『愚直なほどに素直』 №780

 禅の心は、愚直なほどに素直に生きる事、の一言に尽きるかもしれない。何に対して“素直”なのかと言えば、それは“自然”。即ち、自ずから然るべくある“自然”だ。暑い時は熱いし、寒い時は寒い。春は春。梅雨は梅雨。綺麗と感じれば綺麗。苦しいと感じれば苦しい・・・。つまり、“眼前に現象している世界”。言い換えれば、それを感じている心だ。ところが、同じ事実に接しても人により感じ方が異なる。“赤ちゃん”とは随分と違う。何んで変わったのだろう。そこれが知識や経験と言われる“解釈”だ。そして其の解釈が固定して“先入観”を構成したからだ。言い換えれば、“素直じゃなくなった”からだ。そして其れを“愚から賢へ”という勝手な解釈をしているからだ。
 『常行一直心』という禅語がある。「つねに・いちじきしん・を・ぎょうず」と読む。読んで字の如しだが、誤解が無いように“直心”とは『直心是道場』の“直心”と同じで「造作の無い心」のこと。言い換えれば、愚直なほどに純心な心、つまり素直な心のこと。あるがままの心のこと。知識・情報・経験により汚染される前の心。分別(≒先入観)する前の心。故に『常行一直心』とは、『愚直なほどに素直な心で日常生活』ということだ。
 マイナス6%運動の一貫で『クールビズ』なる言葉と軽装が政府主導で推奨されている。暑い時は暑いので、涼しくしよう。上着やネクタイは不要というもの。しかし、不思議だと思わないか?上着やネクタイを制服にまでした西欧カブレの日本で、春・秋・冬の仕事には必要で、夏は要らない。四季で仕事が違うのだろうか。そこに“素直”を無くした日本の姿がある。『何に対して素直』なのかを忘れた姿だ。しかし、愚鈍な政策が“自然”を思い出させてくれるかもしれない。暑い時は暑いように、寒い時は寒いように暮らす。それが“自然”だ。素直な心への回帰だ。流されたり、押し曲げ捻じ曲げることではなく、“自然の法則に従って流れる”、つまり自然体で生きるというのが大事なのだ。先入観・稚拙な知識や浅い経験を離れ、事実を事実として素直に受け入れ素直に暮らすことだ。
好きな者は好き、嫌いな者は嫌いで良いが、好きだから会う、嫌いだから会わないのではなく、自然の流れ(≒縁)に委ね、瞬間的で実体の無い感情(解釈された事実が構成する)に左右されず、『常行一直心』、いつも眼前の事実を素直に受け入れ、何事にも素直な心で対峙することだ。つまり『無心(先入観の無い心)』に生きるということだ。
活人諸君。“上手く生きよう”なんて考えるな!素直に生きよう。一日一生、一日一日を全力で生き切ろう。『隋縁』、それは本質から外れないとても大事な心。小泉さん、竹中さん、素直に生きようよ。素直な心(勝手な心ではない)こそが“本質”を見抜けるんですよ。★禅会ですので説法は“生”のみ★
慧智(050618)

投稿者 echi : 2005年06月18日 06:28

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