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2005年05月31日

野狐禅和尚の辻説法『活人禅会を終えて』 №765

5月の活人禅会を終えて東京に戻った。否、最近は“東京に来て居る”という心境。
今回、参加者が少なかった為と新参(製茶業の方)があったので、邪道ではあるが“三昧”の疑似体験をして頂いた。今更ながら、己の“お節介”には呆れた。禅、坐禅にバーチャルリアリティを持ち込むなど邪道も邪道であるが、一回でも“三昧”の快感を体験しなければ、居士の坐禅は長続きしない。長続きしなければ『己の外に仏なし』という絶対的な宇宙観は解らないし、己という存在が正に“無尽蔵”の力の化身、即ち“仏とは己の本心”を伝えられない。『煩悩即菩提』という表現もある。迷いに揺れ動き、定まらない心を感じ、それを含めて、己の心が“そもそも菩薩”という事を感じられない。『自利利他』という言葉があるが、私は『利他自利』であり、『自利即ち利他』、如何なる事も表裏一体。悪い人間も絶対的に悪い者はいないし、善い人間でも絶対的に善い人間もいない。つまり“善悪・良否・好嫌”などの“相対感覚”は、一瞬の現象で、絶対的ではない。『生死事大・無常迅速・光陰可惜・時不待人』、『清心万能邪心万危』。人生の一瞬一瞬を真剣に生き切り、務めて己の良心に随い働く。人間に無駄にしてよい時間は、一分一秒無い。『歩歩是道場』、いつでも、どこでも人生道の修行の場。その時その時の経験から何を学ぶのかで、人の価値が決まる。己の人生の価値は“己”以外には高められない。というより、森羅万象が“その状態”で完成されている最高の地位にあるが、“分別”からの『囚われ・拘り・偏り』が己を苦境に追い込み、『苦』を現象させ、己の存在の素晴らしさを忘れさせてしまう。少々飛躍するが、代用監獄や刑務所に入れば、心身修養には最高の環境が得られはずだが、再犯者が多いという現実がある。『安禅不必須山水・滅却心頭火自涼』はず。それに比べて、自由に逃げ出せる“禅会”で“三昧”や“悟り”を感じるのは難しいだろうな。人間は“弱い”存在だろう。覚悟を決めるには、覚悟させられる方が遥かに楽。犯罪を犯す者は、何らかの形で“修行”が要求される。今、知人が経済事件で拘留中である。逮捕されるというのは、悟りの最大のチャンスだろうな、と、ふと過ぎる。本当の慈悲は厳しくあること。
そんな思いが浮んでは沈みながら東京へ。それにつけても“坐禅”は素晴らしい。軟弱な“ウスッペラ”な偽物のヒューマニズム、偽物の優しさなど、すっ飛ばし、“慈悲”の意味を体感させてくれる。
 これから坐禅に挑戦しようとする方、既に坐禅を経験した方。『もう一歩』踏み出してみませんか?
慧智(050530)

投稿者 echi : 2005年05月31日 01:54

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