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2005年05月22日
野狐禅和尚の辻説法『至人無夢』 №761
大慧書に『至人無夢』、至人(しじん)に夢なし、という言葉がある。意味は、悟りに至った人に夢(妄想)は無いということで、未熟な人間が漠然と描く夢(妄想)は、悟った人間では“あるべき姿”となり、それは未来の現実であって“夢”ではなくなる。つまり、“そこ”に向かって大道を淡々と歩んでいるので、俗人の妄想とは異なるのだ。しばしば、“夢の無い人間はつまらない奴”などと言われる。しかし、それは誤りで、夢を夢のままにしておく人間はつまらない、と言い換えるべきだろう。夢であれ、理想であれ、抱いた以上は実現する。しかし“それ”に囚われない。一度抱けば、潜在意識の中では目標となり、意識しなくとも、我々の潜在意識は“そこ”に導いてくれる。それに至る道には難関もあるだろうが、“難関”は、“そこ”に向っている証拠であり通過すべき儀礼なのだ。それが“縁”と言っても過言ではない。
あなたに夢はありますか?、と聞かれたら、活人を標榜している禅会メンバーとしては、「いいえありません、しかし、未来の現実は持っています」とサラッと答えられるような人間であって欲しいものである。人間の潜在意識は『未来の己の在るべき姿』を強く描き、それに拘らず、囚われずに淡々と歩んでいると、必ず実現してしまうという、機能をもっている。同時に、“嫌だな”と思う事も実現してしまう。つまり、イメージを実現してしまうのである。それを仏教では『妙智力』という。それを合理的に説明する言葉を持たなかった時代にあっては、それを“観音力”と表現し、観音信仰が盛んになった。翻って、現代、妙智力の構造が科学によって解ったにも関わらず、観音への信仰が薄れてゆくのは何故だろう。観音、即ち『仏』、即ち『本来の己』は、己であり宇宙である。つまり、現代の観音信仰は、“己”を信じきることに他ならない。
活人諸君、夢を夢のままにしておくのは止めよう。夢は“未来の現実”なのだから。今を生き切った結果なのだから、潜在意識に焼き付けて“それ”に拘らず囚われず。それが活人の生き方なのだから。
願わくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんがことを。
慧智(050522)
投稿者 echi : 2005年05月22日 02:18