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2005年05月21日
野狐禅和尚の辻説法『神道と仏道』 №760
“神道”は、己が如何に弱く小さい存在であるかを気付かせ、他力を確信させる。一方、“仏道”は、己が如何に強く大きな存在であるかを気付かせ、自力を確信させる。そこには神道の二元論、仏道の一元論がある。言い換えれば性悪説と性善説の違いが生じる。人間を受身(客体)の存在として森羅万象の一部と対比させる神道と、人間を能動(主体)の存在として森羅万象の全体として融合させる仏道。180度ことなる考えも、表裏一体と仏道では受け入れる。それ故、私の生家(寺)では、キリスト菩薩、マリア観音まであるし、天地、天国(極楽浄土)と地獄は“表裏一体”と説いている。善悪一如とも説き、善を為す時に“悪心(下心)”は無いか?悪を為す時に“善心(躊躇)”は無いか?『無心』に生きる、それは全ての現象、森羅万象と一如となって生きること。そこには、相対的な世界の規準である、善も悪も、快も不快も、苦も楽も無い。絶対的な世界である“大安心”の世界しか無い。嘗ての我が国は奈良時代を起源に『神仏混淆、神仏習合』という文化があった。矛盾する概念を止揚して“無対立・無犠牲・自主独立”とする“中庸”の文化で、平和そのもの。大晦日には寺で除夜の鐘を聞き、その足で神社に初参り。クリスマスにはケーキを食べる。寺の坊主のバレンタインのチョコレートが来る。神主に戒名が贈られ、神社は寺の檀家で寺は神社の氏子。神父が坐禅にくる。日本は素晴らしい。この受容性の高さ、慈悲深さこそ、日本人が“慈悲”を尊ぶ“菩薩民族”である証拠。その大道に至るには“禅”という唯一無比の“生き方”がある。無対立・無犠牲。自主独立という平和主義がある。
皆さん、不安や不信に満ち溢れて居る現代、何が問題なのでしょう。
『己の偉大さに謙虚になる』という一見矛盾した真理に気付く者が少なくなったのではありませんか?
慧智(050521)
投稿者 echi : 2005年05月21日 00:19