« 野狐禅和尚の辻説法『覚宗教とは』 №756 | メイン | 野狐禅和尚の辻説法『神道と仏道』 №760 »

2005年05月20日

野狐禅和尚の辻説法『アリストテレスと禅』 №757

アリストテレスが、『ハッタリ屋とオトボケ屋』という表現で人間を2種類に分けて考えたという件があります。私は、それを追認しつつ、“しきり屋”と“頑固一徹”を加えてような個性分類をしてます。元来、禅僧と同時に、一方で哲学、ストレス心理学等の研究を生業にしてきた“科学者”でもあるものとしては、アリストテレス、その師であるプラトン、ソクラテス、イソクラテスなどなど、ほぼ釈尊と同時代の哲学者の考えには、“俗人”として共感できるところが多いが、誰を比較しても“釈尊”には遠く及ばないとも思っています。アリストテレスは、釈尊入滅の前年である紀元前384年に古代ギリシャに生まれた哲学者であり、釈尊、西洋ではソクラテスと同世代のプラトンの弟子で、しばしば“西洋”最大の哲学者の一人とみなされつつも自然研究の業績から、「万学の祖」とも呼ばれ、アレクサンドロス大王の家庭教師であったことでも知られています。活人禅の会員各位も、禅に拘ることなく広く世界の名著には親しんでおきましょう。
 今日、第二禅堂として建築を進めている静岡県の南伊豆に行ってきました。そこは『菜根譚村』と名付けさせて頂いた。当禅会ゆかりの私有地で、広さはローマ法王庁が、政治からの独立を宣言して建国して100年の『バチカン市国』とほぼ同じ程度あり、境界地は“ゼロ磁場”の山と言われる山が聳え、菜根譚村はその山頂に向かう風の谷(龍谷)でもあり、今日、イオン測定器で村の中心でマイナスイオンの量をイオンカウンターで調べていたら、10分平均で1000近い値でした。道理で清清しいはずです。
 さて、今日の説法は、タイプ論についてです。タイプ論は元来、西洋的な考えで、東洋的な考えで、人間の個性の違いは認めつつ中庸を説いています。西洋は、ご存知のように“自我”重視で、自我を確立できた人間が「おとな」で、確立出来ていないのは「こども」として二項対立で考えるのが一般的です。ところが、禅では、“違いを知って違いを捨てる”無差別、無分別の心境に到達するのが修行です。ですから、“先ずは知る”ということが必要で、それが出来なければ『方便』の意味も威力も解りません。そして『方便』の世界をも捨て、真理と一体になって大安心の境地でイキイキと生きるのが“禅”です。そこで、今日の辻説法です。まあ、俗人も個性を捨てろと言われつつ個性豊かな禅僧を観察していると、曹洞宗系の禅僧には『おとぼけ家』が多く、我々のような臨済宗系は『はったり家』が多いように思えます。菜根譚村への電車の往復で、心を過ぎったのが“それ”で、禅僧の多くは“ハッタリ屋でおとぼけ屋”の融合段階で、完成されると『ハッタリおとぼけ』になりんだな、と思いつつ、思わず苦笑いをしていました。『禅僧は、禅僧でないから禅僧と名付けられている』という言い方があります。正に、ハッタリをかましつつオトボケな表現で、一人の中で“ボケとツッコミ”を同居させている噺家のように“人を主食”とする菜食主義者のようです。『不許葷辛酒肉入山門』と多くの禅寺の山門にありますが、「正に」と思い、クスクス笑いが止まりませんでした。“人を食って”いれば、それ以上は、臭くて、辛くて、依存的で、皮肉で覆われた物は、食えやしません。
 さてさて、在家の皆さんは最近の“禅坊主”に関して、どんな印象があるでのでしょうね。ついでに、あなた自身、ハッテリ屋ですか、オトボケ屋ですかですか、それとも、『禅僧』ですか?
慧智(050519)
*ソクラテス:前469~前399 古代ギリシアの最も有名な哲学者。
*釈尊、有力な一説:前463年4月8日~前383年2月15日。

投稿者 echi : 2005年05月20日 02:22

コメント

 
活人禅宗・両忘活人禅会
活人禅会:茨城県久慈郡大子町浅川椢立目2644 両忘山活人禅寺  南伊豆禅会:静岡県賀茂郡南伊豆町加納1232 The禅House