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2005年05月12日
野狐禅和尚の辻説法『一心不乱に坐る』 №751
坐禅儀に『久久忘縁自成一片』、「きゅうきゅう として えんをぼうずれば おのずから いっぺんとなる」と読みます。意味は「縁を忘れて久しく坐禅に打ち込んでいると、内と外の差別区別、有る無しなどの二項対立が消えさり、“ふっ”とした時に己が“自然の一部”であることに気付き、夜(野)坐の折の雨に気付かなくなる。つまり、己と雨と大地が一体となっており、眠さ・痛さ・寒さや時間までも消え失せてしまう。この体験をした日から、坐禅と坐禅以外という対立も自然と無くなる。不思議ななことに犬の糞を素手で片付けても気にならなくなる。正に『森羅万象は無差別』、一切衆生悉有仏性 山川草木悉皆成仏が現実となる。私の経験からすると“先ずは一年”だろう。「世界観が変る」などという言葉では表現できない。偉い偉くない、男だ女だ、善だ悪だ・・・全ての対立概念の妄想的な意味が消える。それは“恥ずかしさ”という心が消滅していることで直ぐに解る。言い換えると、道徳という世界から“超道徳”の世界に移住した感じだ。やさしい言葉で言えば“愛”という奪い執着する心から、無心に与える“慈悲”とも言えるが、愛と慈悲という差別も無くなる。この経験をしたのは10歳の頃だと思うが、それまで何とは無く“生死”の違いに縛られ、亡くなっている方に触れるのが“怖かった”が、『万物即一片』を感じ取った時から遺骨を木槌で叩いて砕いている最中に骨片が飛んできて口に入ってしまっても全く気にならなくなった。それから数年、14~5までは坐禅も室内も楽しくて楽しくてたまらなかった。つまり隻手音声が聞こえ、父母未生以前の本来の面目を探さなくなったということだろう。
ネット禅会の会員の皆さん!毎日20分、先ずは一年。只管に坐ってみよう。坐り方は大子の禅会で伝授するので、時々は坐りにきてください。夏はサウナのような暑さ、冬は冷蔵庫のような寒さでしか持成しできないが、味噌汁と沢庵と米の飯には不自由はさせないし、トイレや庭掃除から土木工事まで作務も沢山あるので暇を持余すことはないだろう。最低、月に一度は陰徳を積む機会を差し上げるの是非とも大子にお出でください。喜捨・浄財箱も大きいのがあるから、誰からも感謝されずに数億円は捨てられます。身も心も財布も“カラッポ”、これが最高の気分です。是非味わってください。
慧智(050513)
投稿者 echi : 2005年05月12日 16:14