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2005年05月11日
野狐禅和尚の辻説法『不思議なこと』 №750
時々禅会に顔を出すYさんと六本木のサウナ風呂で偶然に出会い、行き成りの質問攻撃を受けた。
室温は105度、10分も居るとヘロへロ。正直、“熱い”。にも関わらず「坐禅は毎日すると効果があるんですか?」と来た。少し突っけんどに「坐禅に効果なんか無いよ」というと「ありますよ」と反対に諭された。「しかし、毎日は辛いでですよね」というから「毎日だから楽なんだ」というと、「毎日しなければ効果は薄いんですよね」と再び。『坐禅に効果なんかあるものか』というと、「否、絶対ありますよ」と。このままでは倒れてしまうかと思い立ち上がると「心頭滅却できていないんですか?」とやられた。何と言われようと、耐え切れずに外へでて水風呂へ一直線。19度の“水”は実に気持ちが良い。そしてサウナへ戻ると、「修行が足りまへんな~」とやられた。そこで、「だから毎日坐って居るんだ」と返してみた。すると、「でも効果ないんでしょ?」と返された。「そうだ。効果とは目的や目標に対しての評価で、目的や目標を持たなければ効果もない。坐禅は“無心”に坐るんだ。ただ坐るだけだ。だから効果などない。がしかし、変化はある。しかし、変化を目的・目標にはしない。それば坐禅だからね」「ところで、君は毎日、風呂に入るだろ?」と聞くと「まあ、ほとんど」と。「何故?」聞くと、「汗や汚れを落としてリラックスするためですかね」と言葉を選んで応えた。其の瞬間、彼は解ったはずだ。
“心”を風呂に入れるのが坐禅でもある。汚れが落ちるか汗をかくかは坐り方しだい。しかし、毎日“埃”に塗れるんだから、坐禅が大事なんだ。
禅語に『時時勤佛拭』というのがある。「時時に勤めて佛拭せよ」と読む。私の家ではトイレに書いてある。意味は「常に心の埃を払いなさい、そうでないと“清心”が“邪心”になりますよ」と解して良いだろう。言い換えれば、体と同じ様に、心も毎日、風呂にいれて綺麗にしておきなさい、というようなもの。出典は、『神秀、偈に曰く「身はこれ菩提樹、心は明鏡の如し、時時に勤めて佛拭せよ、塵埃を惹かしむること勿れ。」である。
風呂は良いな~、と思いつつ、サッパリした心身で帰宅。今日の経験は『一切衆生悉有仏性』、「己以外は皆師」。どこにでも師はいるものだ。
慧智(050511)
投稿者 echi : 2005年05月11日 16:14