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2005年05月09日
野狐禅和尚の辻説法『一苦一楽 一疑一信』 №749
菜根譚などに代表される徳に敬意が払われていた時代の中国や我が国の『処世訓(≒道徳体系)』では、苦しみがあって楽があり、疑があって信があると人間の“あるべき姿”を説いていた。例えば、『一苦一楽相磨練、練極而成福者、其福始久。一疑一信相参勘、勘極而成知者、其知始真』、「人間は苦楽により磨かれ、磨き切って幸せとなった幸せは長く続くし、時に疑い、時に信じることで磨かれた勘は智慧へと昇華する」というようなものがある。正に“俗”における処世術、教訓として得心が行く者が多い示唆であろう。
しかし、禅の発想では、それを更に一歩進め、“苦楽一如”と表現されるように、道徳の“それ”を『百尺竿頭』と位置付け、そこから更に歩を進めた地点の境涯の修得こそ悟りの境地としている。当然、我ら活人禅でも同じで、苦楽は不可分・不可同であり、『苦楽一如 疑信一如』、苦楽も疑信も紙の裏表と捉えうることとし、苦と楽、疑と信という相対概念を排した“一如”の体得を目指し、更に更に歩を進めようとしている。では、“そこ”はどんな世界か。それは言わずと知れた『不立文字 教外別伝 直指人心 見性成仏』と言うしかない。
話は変わるが、最近、各マスコミは“不幸な大事故”をドラマチックに伝えようと、相も変らずの“魔女狩りとリンチ”に終始し、その対象となった愚か者は“その”挑発に乗って“世論”と称される無智な群集の声の一翼を担っている。冷静に合理的に考えれば、事故の日に宴会をする・しないは、“当事者”の価値感の問題で、我々が当事者の話も知らずにマスコミのシナリオに乗って、その善し悪しに関与すするのは如何なものだろうか。我々が大切にしなければならないのは、他人への軽率な糾弾ではなく、知る限りの事実を踏まえ、そこから“私”なら“どう”するかを自身に問い、“私の心”を知り、何かを学び、それを教訓として自分を成長させることではないだろうか。“それ”を『常識』という個人の勝手なローカルルール(価値感)を、公共性を謳い文句にするマスモミの挑発に乗ってインタビューに子供のように感情向き出しで応じているのは“目糞、鼻糞を笑う”が如きの軽薄さである。そして、原因探求も済んでいなければ、裁判も始まらない事件に対し、その関係者を感情だけでリンチ断罪するような風評をつくるなど、大人のすることではない。そもそも、他人の不幸をこれ見よがしに題材として視聴率を上げようとするマスコミの下衆な態度は、“宴会やゴルフ”に参加したと言われる者と大差ないだろう。
それが“不幸な出来事であれ幸福な出来事であれ”、起きてしまった事故は『事実』であり、それを変えることはできない。問題は、それに対して当事者・関係者が“どのように”受け止め、行動するか、傍観者である非当事者は“それ”から何を学び、如何なる教訓をつくるかである。そうでなければ、“亡くなられたり怪我をされた直接の被害者”の不幸な経験は“無駄”になってしまう。
電車事故の少し前にあった“ホリエモン騒動”はスッカリ影を潜めているが、『過去は確定・未来は可能性』と言われ、“今・此処”こそが現実であるように、世は“諸行無常”、全てが“今・此処”という瞬間以外は全て“変数”であり、それらを我関せずの“他人事”として傍観するのではなく、己以外、森羅万象の全てを師として“自分事”として受け入れ、それに学び・昇華し・教訓として凝縮し、一瞬先の思考・行動に反映することが大事だろう。
考えてみて欲しい。この世の中は、誰でも例外なく、一寸先には加害者となることも被害者となることもありえるのだ。その時、“如何に対応するか”が“その人”の価値を決定するということを。
『覆水盆に返らず・・』、『死んだ子の年を数える・・』といった過去への囚われ、己の信じる常識への過度の拘りは、我々の悲しみや苦しみを助長強化するだけであり、先の事件の犠牲者の平成化を妨害したり、置き石事件や被疑者となっている会社の社員に対する暴力事件など第二次第三次の事故を引き起こすのだ。
社会でも企業でも、平時においては『公私混同するな・感情を仕事場に持ち込むな』と叫びつつ、有事となれば『公私混同を要求し、“動機付け”と証して仕事場に感情を持ち込む』ように圧力がかけられる。活人禅会のメンバーなら理解できるだろうが、『公私一如』であり、平時有事も一如であり、目の前にある『出来る事+すべき事』に自分に恥じることの無い方法で全力を尽くせば良いのだ。
ここで、もう一つ考えて欲しい。最近の“お騒がせ”を子供達にどのように説明し教訓とさせるか。それが我々“大人”の使命ではないだろうか。ところで、皆さん、振り返ってください。身近な子供達には今回の出来事を“どのように”解説し教育の素材にしていましたか?
慧智(050509)
●お願い:体調が不安定なので“辻説法”が間欠するかもしれませんが、私は生き抜きますますので、時々は覗いてください。
投稿者 echi : 2005年05月09日 16:15