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2005年05月07日

野狐禅和尚の辻説法『理事=事理=止揚の姿』 №747

 今日、午後遅くからハンデのある子供達を支援する団体の会合に呼ばれ、“理事”を依頼された。そこで就任に際し、“理事”の使命について話させてもらい、“その”認識で良ければ引き受けると話した。そこで気付いた事は『理事』という役割が寄附行為に示された法律上の権利と義務については衆智なようだが、『理事』という呼称が本来持つ使命について知らない人が多いのには驚いた。
 そもそも“理事”とは、仏教用語であり、“理”+“事”=理事または事理である。“理”とは『万法帰一』の論理で一元論を代表する『絶対的本質』のこと。“事”は表面的現象で相対的・差別的現象のこと。つまり、“理事”とは、二元論、一元論を止揚した“無”を司る役割で、表面的な損得、良悪、道徳的な善悪などを超越して、真理を探究する道の目的目標を失わせないようにする役割と考える事が出来る。正に“禅”の実践者なのである。つまり、理事会は、判断機関ではなく決断機関であり、団体の代表である理事長の執行を監視して助言する役割があり、それを委託することは“目的達成”の番人になることでイエスマンでは絶対にありえないし、執行役である理事長の部下ではないのである。
 まあ、平均年齢60歳を超える“大人”に対してお話しするようなことではないとは思いつつ、ついつい強い言葉になってしまい、反省している。
 それにつけても、日本人が日本語を知らないという現実は怖い。漢字は表意文字であり、単語は固有の意味を伝承してきている。そして、熟語、文節、文脈を構成して“意思・意図・意味”を伝えている。つまり、文中、話中の登場するキーワードの一つでも意味を取り違えれば、話し手・送り手と聞き手・受け手の間には大きな認識のズレが生じるのである。「“こう”言ったつもり」、「“そう”聞いたつもり」が大事件を生むこともある。
 日本語は美しいし、意思疎通には素晴らしい潜在力を持つ言葉。大事にしたいものである。
慧智(050507)

投稿者 echi : 2005年05月07日 16:16

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