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2005年05月05日
野狐禅和尚の辻説法『先入観は“愚行の源”』 №746
『無心帰大道』、無心なれば大道に帰す。無心とは、先入観の無い心を言うし、禅はそれを平常心という。つまり、平常心とは一切の先入観を持たない心の状態で、心が自由自在に動き、大道(真理)に統合された、父母未生以前の在り方そのもので、一切の創造の源となる心です。そして、それが“本来の心”であり隻手音声を聞くことが出来る唯一の心です。
しかし、人間の神経系には、過去の成功事例をパターン化して認識し、高速で情報処理できるような単純化システムがあり、“先入観”を持つことにより表面的には“便利”に生きて行ける部分があるのは事実です。つまり、赤信号は止まれ、車は左・人は右。雨の日には傘を差す。睡眠時間は8時間必要。魚や野菜は買うものだ、というようなことです。つまり、反射に神経に入れて良いほど単純な情報処理の結果としての行動を、一々“何故か”と考えていたのでは時間がいくらあっても足りないというものでしょう。しかし、同時に、“それ”を思い込んでいれば、パターンから外れた現象が有る以上、事故に見舞われることもあるし、心気症になる確率は高まるし、発見のチャンスを逃すこともあるだろう。
さて、あなたは本当の自由を取りますか?目先の便利を取りますか?このような聞き方をすれば、大半の方は「自由」を選ぶと言うでしょう。しかし、その質問と回答にも“先入観”が作用しています。解りますか?ヒントは“言葉”です。次に、一般に言われている“先入観と固定観念”の意味の違いを意識して使っていますか?それとも無意識ですか?先入観ですか?。その答えのヒントは“する前”、“した後”、経験の結果か、体験の結果という違いにありますが解りますか?
『禅』は、“二元論”という目先の便利である先入観を捨て、『万法帰一』である本当に自由な“一元論”を説き、先入観や固定観念などの“無縄自縛”を“拘り”、“囚われ”、“偏り”と呼び、過去の経験に拘り、常識にという幻想に囚われ、理か情とい二項対立の片方に偏るなどが“苦”の源泉と説いています。
我らが精進している『活人禅』では、“苦”は“愚”の結果ではあるが、“楽”への過程と解いています。ですから、『一切皆苦』は同時に『一切皆楽』であり、それを『一切皆空』と説いています。つまり、『諸行無常』の此の世に先入観は危険極まり無い無用の長物なのです。現代において必要なのは、臨機応変の行動を支える“自由な心”であり、一切の先入観を捨て去った心なのです。なお、先入観は、別名『選択肢の制限』と言われてます。それは何故だと思いますか?言葉を使わずに思いを集中して坐って観じてみましょう。きっと気付くでしょう。
慧智(050505)
投稿者 echi : 2005年05月05日 16:16