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2005年05月05日

野狐禅和尚の辻説法『“利行”という生き方』 №745

 “利行”とは、道元禅師がしばしば使われている『利を生み出す行為』のことです。道元さんは、“利行”を“一法”と述べ、大乗仏教の“自利と利他は一如”と同じです。
「愚人(ぐにん)謂(おもわ)くは“利侘(りた)”を先とせば、自(おのずか)らが利省(はぶか)れぬべしと、爾(しか)には非ざるなり。“利行(りぎょう)は一法”なり、普(あま)ねく自侘(じた)を利するなり」と修証義にあります。
意味は、「愚か者は、相手を利すれば、自分は損をするのではないかと考える、と普通の人は“そのように”考えるが、それは間違いで、本物の“利”は相対的なものではなく、絶対的であるから“利”は全ての人々に向く」と言い切っている。
 このことは経験した人間ではないと解らないだろうが、エジソンやベルの発明を想像してみると何とは無く追体験できるのではないだろうか。彼らの発明や発見は自分の利益を目標にしたのではなく、結果として莫大な利を得て、それを社会へと循環させたのである。勿論、莫大な特許料を得て“大儲け”したのは事実であろう。それで得た金が、社会の解釈から有意義に使われようと、仮に浪費に使われようと、結果的には社会を循環し、不特定多数の者の財布を経由したし、一つの大きな発明が産業の勃興に関わり、不特定多数の人の利となったことは事実なのだ。そこで、忘れてはならないのは“利”とは何か、ということである。前出したように我々活人禅では『自利利他一如』が説かれている。その“利”は、『無心からの創造の結果』であり、自分を利するとか、他人を利するとかを超えて、不特定多数への貢献意欲に基ずく行為です。それが“菩薩行”です。お解りですよねKさん。「したいこと」とは、『不特定多数の為に“したいこと”』というのが、真意で、“自分勝手な思い”ではないのです。しかし、それを理解出来る方は少ないのです。もし理解出来ていれば、『したいこと』=『すべきこと』で、必ず『できること』になるので、大願は成就するのです。小願は、自分のための小さな願いで、成就するのは難しいのです。しかし、大願は小願を含んで成就してしまうのです。ですから利行一法、自利利他一如なんです。
慧智(050505)

投稿者 echi : 2005年05月05日 06:17

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