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2005年05月03日
野狐禅和尚の辻説法『謙譲の美徳は死語ですか?』 №744
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起らば、困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思へ。勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば、害は其の身に至る。己を責め、他人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり」は、戦国時代を締め括った徳川家康の遺訓です。そして、天下取りの時間に大きな差が出た戦国3武将には、彼らを評した連句があり、それぞれに感ずるところがあるでしょう。
信長を評して「鳴かぬなら 殺してしまえ 不如帰」
秀吉を評して「鳴かぬなら 鳴かしてみせよう 不如帰」
家康を評して「鳴かぬなら 鳴くまで待とう 不如帰」
自己肯定を望む多くの人は、自分と似ているように感じる武将を贔屓目に観るようです。
あなたは、3人に内で誰を贔屓にしますか?
さて、家康の遺訓を眺めましょう。彼は、幼少の頃から“人質”として肉親と離れた“不自由”な生活経験があり、また、戦国の世を最も長く経験し、中年になって“天下”を取り300年の徳川時代の祖となり、その経験から子孫に伝えたい事を言葉にしたのでしょう、かなりの重みが感じられます。遺訓のポイントは『焦らず、足るを知り、無事を最良として、他責的にならず、一歩を譲って、淡々と生きる』ということでしょう。信長も秀吉も家康も、茶道を通じて『禅』と交わっことは衆智ですが、禅者らしいのは家康のような気がします。
競争に勝つ事が“美しい”ですか?負けることは“醜い”ですか?“勝ち負け”は所詮は相対的で、勝っても負けても、競い争うことでの弊害は内包しています。一方、一歩を譲る生き方、“謙譲を美徳”として生きる事は、情け無いですか?カッコ悪いですか?
「すべき事」の中に「出来る事」を発見し、淡々と実行してゆく。ふと気付くと“それ”が「したい事」だったという経験はありませんか?「したい事」を優先すると対立が起るが、「すべき事」を優先すると協調が生まれるとは思いませんか?何れにしろ日々精進。「出来る事」を拡大する必要があるでしょう。自分の人生を振り返ってみる、僅かな選択肢しか無かったが、出来る事で、すべき事をして、その成功が、それらを徐々に“したい事”に変身させてきたようにも思います。勿論、如何なることも“決め付ける”事はせず、“縁”に随い、条件の範囲内で“工夫”して“川の流れに乗る”ように生きてきたように思います。もし、この命が保てれば、今年の暮れには55歳になります。さてさて、明日は新しい日。一日一生の今日は、明日も目が覚めることを期待して終わらせることにします。
慧智(050502)
投稿者 echi : 2005年05月03日 16:18