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2005年04月29日

野狐禅和尚の辻説法『人間の思考』 №741

一人一人が個性的である人間を其の抽象性、不確定性を超えて断定する表現はナンセンスであるが、それでも“人間”という表現を使う場合、多くは生物学的共通性に起因した生理学的存在として人間を見据えた場合である。『人間は考える葦である』と言ったのは哲学者で数学者、物理学者のパスカルであるが、そのキーワードが何を言わんとしたことかは、その前後の言葉から感情を排して推し量るしかない。ここで“感情を排して”と付け加えたのは、電車事故を素材に視聴率を上げようとするために、被害者を“哀れ”の対象、加害者を“悪”の対象として強調して、裁判をする以前に“リンチ”を楽しむ大衆に迎合し、大衆を煽動する卑劣なマスコミへの警鐘を鳴らしておきたいからである。話を戻す。
パスカルは『人間が葦の如く弱い存在であることを知っている人間は、“考える葦”として“知らない宇宙”より偉大であり、全てを知り尽くしていることより“小さな愛”の業の方が更に偉大である』と発言し、『物体→精神→愛』の連関を通じて“秩序の三段階”を明らかにした所謂“実存主義”の先駆者と言われている。勿論、パスカルの考えは釈尊に比較すれば明らかに稚拙で非科学的ではあるが、そこから欧州型道徳(モラール)に言及しその後の教育者の愛読書となる著書『パンセ』に昇華できたのは評価できる。ここで活人禅会会員に考えてもらいたいのは、『人間と物』を二元として捕らえていることである。それは何故なのか。
 人間の生理メカニズムの知覚的現象の一つは、皆さんが日常的に経験するように、『動いている時は考えられない・動かないでいるときは考えてしまう』ということ。『肉体的に疲れ果てている時は何も考えられない・(精神的な)悩みに苛まれているときは動けない』ということです。そして“坐禅”の初歩段階では『止静』の状態になると“雑念”が景色を隠す雲のようにモクモクと湧き出してくるということ。山作務で全力を出し切っている時は、考えようとしても“その考えや思い”も消え失せてしまっているということです。そこから、禅では畑にしても山にしても“作務”の効用が積極的に利用されています。このような説明に馴染めない方もいるでしょうから、『紅茶ポット』をイメージしてください。ポットに茶葉を入れ、90度の湯を指すと茶葉はダンスを始める。そして1分もするとポットの中で踊っていた茶葉は、静かに底に沈む。そして、それを持ち上げてカップに注ごうとすると茶葉は巻き上がる。この風景を居間のテーブルで目撃すると、人間の思考と行動の関連に気付く人は多く、有る意味で“自然”を感じるだろう。そして、それを感じると多くの禅者は、『碧厳録』の「魚行きて水濁る」という言葉を連想するようだ。ところが、この句は、『己が動いた後に己の道は出来る』という暗示であり、動かなければ360度全てが道だとも暗示しているので、連想が、どのようなニューロンのスナップから起きたのかは修行を積んだ師家なら直ぐ解る。
 考える事は“雨”に似て、思う事は“雲”に似ている、といわれる事があるが、『思+考』を切り離して“考えられない”のが現実である。
まあ、パスカルは、“人間は考える葦だと思った”と考えるのが妥当だと私は思う。
さて、活人諸君。電車事故の周辺から学べ!。それが出来なければ、無くなられた方は“犬死”だ。過去は変えられない。過去に執着したり、未来の囚われていると“苦”しかない。やり場の無い悲しみや苦しみは“やり場”をつくり上げ、認知的不協和を作り出して抽象的な不安や苦しみを、具体的な怒りに転換して、心を整理しようとするが、傍目には“気の毒”としか思えない。亡くなられた者は決して帰らないし、魔女狩りでの腹いせは、生きている己を更に悲しみへと向わせ、“大安心”という幸福から遠ざけてします。つまり、不幸の悪循環が始まってしまう。人生は諸行無常。時は人を待たない。大事なのは『全力で生き、全力で死ぬこと』。いつ何時旅たっても後悔しないし、残すものに悲しみを贈らない生き方がある。今日は連休の入口。時間が有るときこそ無為に時を過ごさず、日常の『事実』から坐禅を通じて何かを『発見』し、それを『教訓』として脳細胞に刻み込み、今この場の己の生き方を『宣言』してみてほしい。それが“活人4行日記”という、文字を使わない“ハイパー4行日記”なのである。因みに、私は“これ”で生きている。それ故に『一日一生』と断言できるし、死ぬ覚悟と生きる覚悟を止揚した生死一如を体現できるのであり、末期癌と共存する体質を作れるのだと思う。
慧智(050429)

投稿者 echi : 2005年04月29日 16:19

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