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2005年04月25日
野狐禅和尚の“お応えします”『質問:坐禅は、それ自身が目的であり手段だということが和尚の過去帳に書いてありましたが、どうしても理解できないのでヒントを下さい(中学2年生)』 №737
答えではなく“ヒント”を求めるのは最高の質問者です。ですが、君は坐っていますか?頭で解ろうとしていませんか?それともゴールが見えないと行動できませんか?君のように智慧の回る若者なら、教えなくても坐れば解るはず。坐禅に来たくなった来なさい。でも、今は学校に耐えなさい。
さて、ヒントが欲しいというなら“六波羅蜜”の説明をしましょう。
六波羅蜜とは、布施・忍辱・持戒・精進・禅定・智慧の六つ。この六波羅蜜こそが実践的菩薩道(生き仏になる道)で、戎・定・慧の三学である実践的精神と対をなすものです。
「布施」とは“貪欲の心”を捨て不特定多数(僧侶や寺という解釈が一般的だが私は拡大解釈している)に財を与え、真理(法)を説いて完全な恵みを施すこと。
「忍辱」とは“瞋恚の心”を捨て去り艱難辛苦、迫害を耐え忍ぶこと。
「持戒」とは“悪業の心”を捨て去り身心を清浄にすること。
「精進」とは“懈怠の心”を捨て去り自分自身で自分の身心を励まし全力で生きること。
「禅定」とは“心の動揺や散乱(不安と言ってもよい)”を捨て去り、心身を統合して集中し安定させること。
「智慧」とは“愚痴の心”を捨て去り、迷いの心から離れて、諸法の“究極的の実相(真理)”を見極めること。
そして、「波羅蜜」とは、“完全無比の完成”ということ。
付け加えると、禅では六つの波羅蜜の中で最も重要なのが『智慧の完成』とされています。言い換えると,“智慧”は“波羅蜜の根拠”とも言えます。そして、“智慧の完成”こそが『無執着の完成』です。如何なる物や事、言い換えると“全ての現象”に囚われることなく、完全に執着しないという“融通無碍・自由自在”は、自利の完成であると同時に利他の完成であり、智慧の完成というものです。
付け加えますが、君には知識などという相対的であやふやな情報に頼らずとも、君は解るはずだよ。何故か。それは人間として生き物として、現象している状態として“当たり前”のこと以外はないからです。中学生には少し難しいが、私ですら14,5で“坐っている内”に自然に解ったんですから、君なら必ず“答え”に出会えるはず。それが私の“応え”です。
追伸:高校には進学してみなさい。教師に疑問があれば、“己の先生は己”と決め、学校は“場所貸し”程度と思えば良いんです。先入観で決めるのだけは止めよう。焦ることは無い。君ほどの力があるなら大学院を出て本山の管長を目指して10年坐るのが世間のためだ。それが本当の功徳だよ。
慧智(050425)
投稿者 echi : 2005年04月25日 16:21