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2005年04月19日
野狐禅和尚の辻説法『山寒花発遅』 №732
“山寒花発遅”は、「山寒くして、花のさくこと、おそし」と読むのが一般的です。意味は、『人々に生きる慶びを与えられるような在り方は、長く厳寒風雪に耐えた分、一気に開花する北国の春のように、大器は晩成だということ』でしょう。
福島以北、標高1000メートル以上の地の春は、梅桃桜梨の花、草木の新芽が一気に咲き、雪深いところであればあるほど“百花繚乱”という言葉に相応しい春が来ます。それは里や都会の春とは比較にならないほど、人々に大きな喜びを与えています。
都会の青年の“早熟”も結構ですし、“温室育ち”“純粋培養”の特別コースも結構ですし、反面、田舎育ちの歪な天下獲りも、滑稽で微笑ましいのは事実ですが、艱難辛苦に耐え人間として大切な“利他”の心というのは、その完成に至るまでに時間がかかるものです。そういう意味で“東北の春”に準えた「山寒花発遅」は、味わい深い言葉です。
まあ、自分は大器だとか、反対に大器ではないという自己評価を聞くたり読んだりすることがありますが、発現を耐えに耐えた“晩成”は、なかなか難しいもので、江戸期や明治時代なら兎も角、平均寿命が80歳を超えている現代において、三十や四十の“未盛年”が、何を生き急ぐのか“成功”に固執しているのは、微笑ましいが、更に若い“未来の日本人”にとっての鏡としての“不特定多数の者に喜びを与えられる”という“成功(こうをなす)”なのかどうか、甚だ疑問があると感じます。
蛇足ですが、“金儲けと借金”は下手でコツコツと陰徳を積める者は、出家・在家を問わず限りなく少ないが、だからこそ、日本人として『目指したい人間像』ではないだろうか。中国からの反日のテレビ中継を見ていると、さすがに歴史教育を操り帝国主義を実現した国の若者らしいなと、その軽率な発言から感じます。まあ、現代中国は、数千年の過去の栄光を捨て、焚書と洗脳と徴兵などを伴い独裁者が60年で築いた国だけに、過去、我々が鏡として学んだ4000年の歴史に裏打ちされた中国とは無関係なのだな、残念だなと思うのは私一人だけではないでしょう。『山寒花発遅』、日本は、昔も今も“中国は鏡”、“日本の先生”としてアメリカを先生とするのと同様に、大いに学ぶ必要があるでしょう。
『人類への信頼を失ってはならない。人類は海のようなものである。譬え海の中が汚れても、海全体は汚れない』とインド独立の功労者であるマハトマ・ガンジーも言っているように、汚れがあるから、綺麗にしようという心が動くとも考えられる。
慧智(050419)6:25
投稿者 echi : 2005年04月19日 06:24