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2005年04月18日

野狐禅和尚の辻説法『多欲の人は利を求めること多きが故に苦悩も亦た多し』 №730

 釈尊が遷化する前、その教えを箇条書きにして残したものを集めたものを、後に鳩摩羅什が漢訳した経典である『遺教経(ゆいきょうぎょう)』にある、“多欲”を戒め“利他”を促したものの一つが「多欲の人は利を求めること多きが故に苦悩も亦た多し」というものです。『自分だけの欲望を追求し、自分の事だけを考えて生き、不特定多数の利益のために己の能力を使うことをしない者は、苦しみも多く悩みも多い』という意味です。なお、「知足の法は即ち是れ富楽安穏の処なり」という『“足るを知ること”こそが、大安心の源』ということを暗示する記述も見られます。
さて、『足るを知る』という言葉は、現代の我々にとっても耳に心地よく、頭では簡単に理解できるでようが、それを本心から得心して行動している者は、私が知る限り、極めて少ないのが現実です。
一昨年、この辻説法で『菜根譚(さいこんたん)』を解釈してきた時にあった『貪らずを以て宝となす』という一節を思い出せないだろうか。『今・此処の己』のみが現実。過去は変えられない。未来は変わりすぎる。つまり、『決定と未定』の中間過程にあるのが“今”であり、今は『過去の結果であり、未来の原因』であるから、何をどんなに貪ろうと、過去は変えられないので、今は過去の結果。未来の為に今を貪ろうと、未来は今の結果であり不安定なので、望んだ分が実現するとは限らない。つまり、過去や未来に囚われ拘り、偏った考え方をすれば、“落胆”が待ち構えているのです。ところが、今、此処で、現象している“事実”を、因が縁により変換された過去において自分が望んだ結果であると考えたら如何だろう。『黙って受け入れる』のだ当然、という気持ちにならないだろうか。不足を漏らし、愚痴を言えば変るのだろうか。ところが、“今は分相応”という規準で今を評価できたらどうだろう。そして、現前に現象する“すべき事”に集中できたら、あなたの明日は如何だろうか。
私は、今日も生きて居る。正に、“人間は病気や事故”で死ぬのではなく、“寿命”に随うのだろうという考え方が間接照明されている。『今』、それは感動である。
『今があることで十分』と感じる事が出来れば、“もっと・・”という心は消え去る。
『今を満足して、昨日は昨日と、済んでしまったことに拘らず。まだ現象しない未来に今を犠牲にさせない』、そんな生き方が出来たら、この世は薔薇色以外の何ものでもないだろうか。“縁”で結ばれた“現前の事実”を素直に受け入れ、それに対し“全力を尽くす”、そして、その結果もまた“素直に受け入れる”それが最高の生き方では無いだろうか。
慧智(040518)
*出張→セミナー→坐禅と数日間があっという間に過ぎた。行方不明になった携帯電話、壊れかけたコンピュータ(Eメール)、その上、新聞・テレビ・ラジオなどなどから“孤立”していた。『情報断食』、これは素晴らしい。アルコール依存、金依存、物依存、人依存などなど、現代人は“何らか”に依存していきているが、時には“それら”を忘れることが大切だな、と今、感じている。4月18日午前4時、記す。

投稿者 echi : 2005年04月18日 04:00

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