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2005年04月15日
野狐禅和尚の辻説法『一日不作一日不食』 №729
「一日なさば、一日食らわず」と読みます。「働かざる者、食うべからず」という道徳的な戒めをはるかに超える百丈懐海(ひゃくじょうえかい)和尚の名言で、公案集である五燈会元の第三則に出てきます。この語は、禅と労働(作務)を結びつけた金言で、たとえ年老いても、たとえ体が不自由であろうと、一生涯に渡り働く。働く≒利他。それは、生産性を問うものでも、結果を論じるものでもなく、“出来る事をする”、それが人間を人間ならしめる『唯一の道』であることを示唆しています。
巷はマネーゲームを賛美し、拝金主義者は小・中学生までに、アメリカに追随して株取引を教え込もうとしています。古来、金で金を生み出す生業を“虚業”として忌み嫌いました。そして額に汗して働く“実業”を善しとしてきました。しかし、昨今は変わってしまいました。勿論、変ること、変化することは自然であり、忌み嫌うべきことは何もありません。しかし、それは枝葉であり、“根本(真理)”は変わらないものです。限定合理性である科学でさえ“地動説”を説いています。
定年までに金を溜めて遊んで暮らすことが理想の老後であるが如き昨今の風潮は、完全な誤りです。人間が人間であり続けるためには、“出来る事”をするのです。目が見えなくても、足が無くても、譬え、余す時間に余裕の無い病の体であろうと、“使える部分”を使って“利他”を実践するのが“働く”ということです。働かないのは、死しているのも同じ、だから当然“食べない”、それが一日不作一日不食なのです。寝たきりになり“働けなくなった人間”でさえ、“介護の対象”となることで、人間をまっとうして、働いているのです。 “働く”という事は、金を得る『手段』ではなく、それ自身が『目的』です。生きて居る“証”です。“働くこと”それ自身に意義があるのです。言い換えれば、“働ける”というだけで十分な“利益”を得ているのです。経営者は、働く場所、機会を提供する人であり、営みを経て目的目標を達成させることと予てから言っていますね。
マネーゲームは“最低の人間”の生業ではなく、人間のすることではないのです。
性悪説であるキリスト教では『労働は懲役』という概念であり、性善説である儒教では『労働は美徳』です。しかし、仏教(正確には禅)では、『労働は自然』なのです。森羅万象は例外なく理法に随い“働いている”のです。結果は自然に成るのであり、結果を目的や目標にはしません。それは人間であっても例外ではありません。
『生涯現役』という言葉は、一生涯、出来る事を活かして、働き続けるということです。
『活人』も『達人』も、働く人です。活人はイキイキと働き、達人は悠々と働くのです。
先ほど、『増加する中年フリーター』という論文を読んで、情けなくなりました。若年フリーター、ニートだけに目を奪われていると、とんでもない現象が起きているのです。皆さんも考えてみてください。
慧智(050416)
投稿者 echi : 2005年04月15日 16:26