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2005年04月13日

野狐禅和尚の辻説法『好事不如無』№728

「好事も無きに如かず」と読みます。単純に言えば「この上なく良いことは無い方が良い」というところ。意味は、二項対立から生まれた“素晴らしい物や事”は、捕らわれの対象となり自我となってしまい、全てが真金の如く最高の状態で備わっている“本来の面目”を傷付けてしまうことになる危険性が“凡夫”は高いからです。
こうした語句を境界辺(きょうがいへん)のものといい、実は、相当に修行した者でなければ解らない心境を表わす禅語です。相当に修行した者とは、力がある者で、無ければ分からぬからだ。坐禅をする者の中には、少しでも過去に比して“優れた考えとか気持”が得られると、それを誇示したり、それに満足したり、その状態に依存してしまうことがある。やがて、それが他との隔絶を生み、対立心を強め、自己顕示欲や自己主張を巨大化し、鼻持ちなら無い野狐と成り下がってしまう。だから、“特別に良い事”≒修行の初期段階での分不相応な悟りは無い方が良く、徐々に徐々に成長してゆくのが良いということに他ならない。巷では、経済的に困窮している人間が宝くじに当たったり、莫大な遺産相続の縁に触れ、不相応な大金を掴んでしまうことで人生を棒に振ってしまったという話は枚挙に遑が無い。
なお、公案には趙州禅師に纏わる話がある。弟子が修行中の時、「一物不将来の時如何」と、師に対して「私は既に何ものも心にもっておりませんが、どうでしょうか」と得意気に言った。すると師は「放下著」、捨ててしまえ、と応じた。すると、「既に一物不将来。箇の什麼(なに)をか放下せん」、つまり「すでに何もありません。そんな私が、更に何を捨てるのですか」と理屈を言った。言い換えれば『無理会』ではないのだ。そこで、「放不下ならば担取し去れ」。そうか、そんなに何も無いと言う下衆なものが好きなら、何時までも担いでおれ、と応じた。すると、弟子は、大いに悟りを得た。
慧智(050414)

投稿者 echi : 2005年04月13日 16:27

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