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2005年04月13日
野狐禅和尚の辻説法『質問:方便は“嘘”ですか?』№727
『方便』とは、仏教用語で、衆生を真理に導く“便法上の教え”で、子供に対し親が、親の知識レベルで教育するのに便利な“架空の喩え話し”と考えれば良いでしょう。例えば、恐怖を教える“悪魔”、善を教えるのに“神”、畏敬の念を教えるのに“自然神”を、人間が創造し、成長過程にあるものに対し“権威”を植え付けることを目的にしています。つまり、『方便』には目的と目標があります。言い換えれば、『教育』が目的であり、『教育内容』が目標です。
そこを前提に考えれば、神教は“方便”の体系であり、13宗56派の日本仏教の大半は教本や仏像などを用いて大衆教化を目的としているので“方便宗”であります。一方、禅宗(主として臨済宗)は、特定の教本や特定の本尊を持たず、“方便”も使わずに、“心から心へ”釈尊から達磨・・と連綿として連なる“仏心”を、『教外別伝・不立文字・直指人心・見性成仏』を合言葉に、方便に代わる方法論として『公案』を使い、師から弟子へと確実に伝えてきています。だから、禅はハードルが高いと思われています。
さて、質問である『方便は嘘ですか?』に対しての応えは、何とも言えません。あなたが、考えれば良いことです。言語理解が未熟な赤ん坊に、怪我をさせず、台所仕事を手際よく行い、更には“湯は熱い”≒“ヤカンは熱い”ということを同時に教えるために、台所の入口に一端は熱いヤカンを置いて、幼児にヤカンを瞬間的に触れさせ“熱い≒怖い”を教え、次にヤカンを空にして、台所の入口に置くことで親の利便性と子供の教育を同時に行うことは多くの家庭で行なわれてきています。あなたは、それを“嘘”だと言えますか?正に、『嘘も方便』、これは“誤り”ですか?方便と嘘の違いは、“悪意か善意か”が問題ではないでしょうか。
蛇足になりますが、私は“科学は真理の共有を目的とした『方便』”だと考えています。ですから、“科学は限定的合理性の体系”だと話している筈ですし、真理を段階的に探究する“方法論”として、私自身も社会科学者として関わっています。
言い換えれば、私の中では、『科学・哲学・仏法』は止揚され無矛盾なのです。
慧智(050413)
投稿者 echi : 2005年04月13日 06:27