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2005年04月11日
野狐禅和尚の辻説法『麻糸は、1、8キロ(麻三斤)』№724
弟子が「如何なる是れ仏」と問うと、雲門の法嗣(はっす)である洞山和尚「麻三斤」
と応じたことは、碧巌録にも無門関にもあるので知る人は多いだろう。
昨日は、大子での活人禅会であった。20代から60代の、何れが桜か梅かの7人の活人が各々の心境で坐った。灌仏会の翌日から一昼夜を共にする仲間に男女、老若、肩書き、貧富、国籍など、ここでは全ての差別区別はない。それぞれには其々の心の眼の大きさがあり、心境は様々だが、自利利他の心さえ捨て去り、坐禅衣を着けて禅堂に坐れば、みな菩薩。中には、心落ち着かず10分とじっとしていられない初心者もいるが、振り返れば皆同じような道を通ってきた。『安禅不必須山水 滅却心頭火自涼』、そのうちには“清心万能邪心万危”を体得するだろう。大子の春は未だ走り、桜は三分咲き。夜は火を囲んで人生談義。作務の後は、竹の子掘り、筑紫積み、背負子を背負って裏山の掃除。坐る時は坐る。歩く時は歩く。行住坐臥は“それに成り切る”ことだ大事。一夜明け、作務が終われば饂飩供養(斉座)。そして、食後には、それぞれの心境を川柳に託しあって散会。
『坐禅会 人も桜も 三分咲き』、満開には今しばらく時間はかかるだろうが、皆、咲き切るだろうというのが私の心境。「如何なるか菩薩」と、今、ここで問われれば『三分咲き』と応えるだろうな、と思いつつ、洞山和尚の『麻三斤』の公案に応えた15歳の春を思い出し、“我が春夏秋冬”を噛締めた。
『葉は緑 花は紅 一日一生』、観自在、あるがまま。『一大事今日只今心』。過去に囚われず、明日に拘らず、今を生き切る。大安心とは、先入観を捨て切った者への御褒美。そして大安心をも捨てたら“無心”。それが菩薩の心。三分咲きを眺めていると、思わす笑みが零れた禅会であった。
活人禅会 慧智(050411)
投稿者 echi : 2005年04月11日 06:29