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2005年03月07日
野狐禅和尚のお応えします『質問:和尚は“神”を否定するのですか?』 №687
短いが的を射た質問を受けましたので、私なりの考えを述べます。
■質問:慧智和尚は“神”の存在を否定しているようですが、私は交通事故で3日間の間意識不明でしたが、その間に臨死体験をして、無限の光の中で父なる神に会い、神が居なければ“人間”も自然も存在しないことを知りました。勿論、それまでの私は死に対する恐怖を抱いていた無神論者であり、他の宗教の影響は受けていません。つまり、純粋な意味で神に会ったのです。つまり慧智和尚も“神の作品”の一つなのです。和尚の文章はほぼ毎日読んでいます。同感するところもあれば、間違いだと解るところもあります。特に、和尚の神に対して理解は、完全に誤りです。何故、和尚ともあろうひとが全知全能の『存在である神』を否定しているのですか?」
◆応え:私は“神”の存在を否定していません。ですから、実は質問には応えようがあるいません。しかし、私と貴方で『神』という言葉に与えた定義が違うので、それはお互いに知っておいた方が良いと思い、『否定していない』という回答で十分だとは思いますが、あえて付け加えておきます。
さて、“神”という概念は人間が想像し創造した“内的存在≒ワイルドカードのような内的存在”の最高傑作であり“理想モデル”でもあり、“道徳的”意味では大変な価値があり、人類の成果の一つであるということは『真理』に気付いた私を含めた多くの方々の解釈であります。反面、『唯一』であると主張する個人や団体が、“唯一”なるが故に対立し“唯一の椅子取り争い”をしている状況は、人間の世界にとって大きなマイナスもあります。さて、応える前に、あなたの主張を整理してみましょう。
あなたの質問の背景には『神は“絶対的な一人(唯一)”である。絶対的な一人の存在が全ての物質や生物を作った。人間の肉体と精神は別物であると臨死体験で解った。過去あなたは無信仰者であった。そして私の説法を読んでいてくれる。』
禅が分別(情報や知識による取捨選択)を否定するのはご存知でしょう。勿論、私も同様です。しかし、『井の中の蛙が大海を知らないように、大海の鯨は井の中を知りません』から、井戸のなかの話は井戸の中で通じる話であり、井戸の中にいる限りは『井戸の中での限定合理性』を前提として考えるべきでしょう。また、人間は物理的肉体を構成する宇宙にありふれた物質の集合であり、各要素間で電気的信号により化学反応が連続する有限である時間的存在であり、解釈という幻想を“自我”ないし“事実”としている生活体です。また、物理的と思われる現象世界での“価値(神もその一つ)”は多種多様で、誰一人として、“神”が物理的存在であることを証明した人はいません。禅語に“壷中の日月は長い”という言葉がありますが、物理学上の変化の単位である“物理時間(時計が示す時間)”と心理学的な時間とは相関関係がありません。言い換えれば、一生は一瞬だとも、一生は無限だとも言えます。しかし、“一生”が他者を観察して語ったものでなく“自己の認識”であれば無限です。私達は己の受精(物から命への転換点)の認識もなければ“死”の体験も出来ません(“自分が死んだ”という認識を生物ができません)。禅では“父母未生以前の本来の面目を見よ”というのがそれで、“全てが二つに分かれる以前の姿”なんでしょうと入門の時に問われ、何年も“それ”を見ようと挑戦しますが、結局は“無”であり“空”であることがわかります。ですから、死はいつでも他人事であり、臨死体験とは“死んでいない人の夢、幻であり、神経や内分泌系が一時停止したり暴走したりしている異常な状態”ですので“生”であります。つまり、貴方が出会った“神”は、あなたの“神”なのでしょう。ですから、人生の宝として大事にしてください。と同時に、あなたが自分の神、自分自身を大事に思うように、他人も自分の神や自分を大事にしたいです。言い換えると、“あなたの神”以外にも多くの神が存在しているので宜しいのではないでしょうか。しかし、それらが“唯一”であると言って、それに拘り、囚われ、偏った見解を流布して自己への利益誘導を行なえば“対立”が起こるのです。あなたはあなたの神を信じて生きなさい。そして、他人にもそれを認めなさい。そして、少しづつでよいから『井戸』の外も見てみましょう。過去、何回も書いていますが『釈尊は“発見者”であり、キリストはじめ一神教の中心人物は“発明者”である』というのが私の考えで、物質循環論からすれば釈尊は私の一部であり、私は釈尊の一部ともいえますし、あなたも同様ですし、キリストと釈尊を100%別人とはいえませんね。なお、私の少ない知見からすれば、『万法帰一(全ては相対的現象であり実体は“無(一)”の変形である)・一切皆空(全ては相互依存の現象である)』というのは、科学的な真理であり、全的な真理であります。勿論、“真理”と主張する意見は、無限にあって差し支えありません。しかし、相互に排他的となり対立するのは不幸なことです。大事なのは『無対立(互いに相手を尊重し対立しない)・無犠牲(犠牲にしない・されない)・自主独立(徒党を組んで対立しない)』ではないでしょうか。
ですから、私は貴方の“神”を否定しません。貴方が会ったということ否定しません。あなたには“それ”が内的な事実でしょう。ただし、それが『井戸の中の出来事』であることは認めましょう。そして、“自分の神”を“唯一だ”と“押し付ける”行為は危険なことだと知ってください。『八百万の神々』は仲良くやれるのではないでしょうか。それとも、一国優位、一人優位の独裁が必要ですか?。己の外に仏なし。人間万事塞翁失馬。60億の自由な民。共有する神ごとの文化。・・・。大事なのは“神”がいようと、いまいと、余計な殺生殺戮はせず、全ての存在に畏敬の念を抱いて他への犠牲を極力強いずに“安心”して暮してゆける世界、一人一人の人間が尊重される世界が大事なのではないでしょうか。
蛇足:快慧さん!祝:一級小型船舶免取得
慧智(050307)
投稿者 echi : 2005年03月07日 05:58